明智光秀ゆかりの地として注目される兵庫・丹波地域。明智光秀が攻めた黒井城跡と麓にある興禅寺(丹波市)を巡るツアーが11月3日に開催されました。

「明智光秀ゆかりの地」の魅力情報発信事業「黒井城跡バスツアー」には「兵庫・神戸のヒストリアン」として活躍する田辺眞人・園田学園女子大学名誉教授、久保直子といった『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』(ラジオ関西)パーソナリティー陣とともに、多数の応募の中から選ばれた20人が参加。同番組11月19日放送回では、田辺先生の歴史トークがオンエアされました。

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興禅寺
興禅寺

◆田辺先生の歴史トーク(興禅寺にて)

 興禅寺は禅宗のお寺です。この寺のある一角を「斉藤屋敷」といっていたことからも、黒井城の関係者の館があったのでしょうね。境内の西北に湧き水がありますが、これが「春日局の産湯の井」といわれているものです。

春日局の産湯の井
春日局の産湯の井

 戦国の終わりから江戸時代の初めにかけて、男性の血統でいうと滅んでしまったという、浅井家。その末娘だった江(ごう)さんが、逆に江戸時代の初めには、立場を大きくしていきます。女系でいうと、豊臣秀頼の妻(千姫)を生み、自分自身も徳川秀忠(2代将軍)の妻に。さらに、娘二人が岡山の池田家と加賀の前田家に嫁ぎ、世継ぎを生んでいます。そして京都では関白の家へ嫁入りさせて生まれた子が関白に。一番末の娘(和子)は天皇の奥方として中宮になり、その生まれた娘が明生天皇という女帝になっています。つまり、明生天皇のおばあさんが、江さんなんです。

 その江さんが唯一破れたのが、春日局です。明智光秀の家老、斉藤利三の娘である福(後の春日局)は、父が光秀とともに山崎の合戦で本能寺の敵討ちで殺されたあとは、母方の実家で養育されました。そして平和な時代が来てから、徳川家に仕えるようになるという、有為転変。

 ちなみに、その春日局のある意味でのライバルともいえる江姫を小谷城から救出したあと、育てたのが織田信長の弟、織田信包でした。

 信包は温厚な人だった様で、信長が1582年の本能寺で亡くなったあとも有力な武将として存在します。1590年に秀吉が天下統一。その時の小田原城主、北条氏を秀吉が抹殺しようとするんですが、信包が諫めるんです。そのため、逆に秀吉に嫌われて、大名の地位を失ってしまうのですが、晩年になって信包は秀吉から大名の地位に復されています。その時に与えられた土地が柏原なんです。

 柏原のお殿様は徳川の兄貴分だった織田家。家の格としては名門でした。徳川家も一目置かなければならないのですが何か抑えておかなければならない。どうしたかというと、城主にしなかったんです。城主の格のお殿さんがいる館は城ですが、城主格を持っていないお殿さんのいる館が陣屋なんです。だから柏原に行ったら陣屋があるんです。

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◆ツアーに参加された方からは、「参加して良かったです。田辺先生のお話はとても面白くて楽しかったです」「はじめてあんな高い山に登りまして、ちょっと苦しかったんですけど、皆様が助けてくださって、楽しい一日を過ごさせていただきました」「写真を撮るのが楽しみで来たんです。楽しく過ごせました」「当選してとってもうれしくって、もう喜んで参加しました。とっても楽しい一日でした。ありがとうございました」などの感想をいただきました。

(構成:久保直子)

番組
ラジオ関西
田辺眞人・園田学園女子大学名誉教授と久保直子さん
田辺眞人・園田学園女子大学名誉教授と久保直子さん