神戸旧居留地は、歴史ある景観をとどめる神戸の街を象徴するエリアの1つだ。その中にあり、かつてのメリケン波止場のすぐ近くに立つ神戸商船三井ビル(神戸市中央区)が、今年、竣工から100年を迎えた。1945年の神戸大空襲や1995年の阪神・淡路大震災でも大きな被害はなく、当時の姿をとどめている。そして現役だ。

神戸商船三井ビルの外観

 神戸の外国人居留地は1868年の神戸港開港と同時に設置され、126区画の街並みが形成された。1899年に日本に返還されると、日本の企業もオフィスを構えるようになった。

 神戸商船三井ビルは、1922年4月、株式会社商船三井の前身のひとつである大阪商船の神戸支店として新築された。神戸港は1890年代後半には輸入額日本一の国際貿易港に成長しており、業績も急拡大。それまでのオフィスが手狭になったためだという。地上7階地下1階の「当時の最新鋭の高層ビル」で、「強制循環温水方式」の暖房など日本初の技術も採用されていた。

 設計は、のちに近代建築史の中でも鬼才と言われた建築家・渡部節が担当した。渡部は設計のために欧米を視察したという。

 アメリカンルネサンス様式石造りの建物は、当時も今も、港町神戸にふさわしいランドマークだと言える。下部は石積み、上部は軽い素材のテラコッタが採用され、当時としては珍しかった。その組み合わせのバランスがよく、重厚な中にあたたかさを生み出している。また「海運会社」であることを踏まえ、南西角に当たる正面(現在はスポーツ用品店の入口になっている)は船の形(舳先)がイメージされており、随所に海を連想させる装飾が施されている。

 ビルは大きな危機を2度も乗り越えた。1945年6月の神戸大空襲では、126区画あった居留地の70パーセントが破壊され、神戸商船三井ビルの周辺も焼けたというが被害は免れた。1995年1月17日の阪神・淡路大震災では、地下は水没するなどしたものの大きな被害はなく1月27日には営業を再開したという。後に耐震の問題から一時は取り壊す案も出たが、2012年に、外付け耐震フレームを中庭側に設置する改修工事を行った。中庭なので外からは見えず内観も損なうことはない。「商船三井の神戸支店」から現在はオフィスビルへと変わったが、竣工当時の姿をとどめる国内でほぼ唯一の存在だ。

館内の廊下

 ビル内にも手動式エレベーターや各階に設置されたアメリカ製のメールシューターなど竣工当時のものが残されている。エレベーターホールに設置された照明は、天井に「星型」の影を映し出す。この影は「LED電球」ではできず蛍光灯でしかできないという。蛍光灯は2020年に製造を終えているが担当者は「十分な在庫を確保した」と話す。

アメリカ製メールシュート(左)と手動式エレベーター
1階エントランスの照明 影が星の形

「100年前の姿と変わらない姿をとどめていることに敬意を払い、次の100年に向けてしっかりとつないでいきたい。港町神戸の歴史を未来に伝えるランドマークとして」。担当者のこの言葉が、このビルがいかに愛されているかを物語っている。

 現在は「オフィスビル」のため、店舗以外のエリアは非公開だが、エレベーターホールがある1階エントランスを2022年5月31日までの期間限定で見ることができる(平日のみ。午前9時〜午後4時)

手動式エレベーター内
エレベーターを手動で操作する様子