「フランス人形」と聞いて、皆さんはまず何を思い浮かべますか? 子どものおもちゃ、高価なアンティーク品、もしくは昭和の時代に多くの家庭でみられたガラスケース入りの人形……。実は、フランス人形は昭和の日本で大流行し、最盛期にはなんと年間売り上げ9億円も記録したのだとか。フランス人形の歴史や成り立ちなど、「神戸ドールミュージアム」の藤野さんに話を聞きました。

「神戸ドールミュージアム」は、アンティークビスクドールとオートマタを中心に幅広く世界の人形を集め、人形の歴史・文化情報を発信する神戸のミュージアム。藤野さんによるとフランス人形の定義は幅広く、「西洋人形(アンティークビスクドール)」と呼ばれる金髪に青い目をした骨董品の人形や、1979年ごろに日本で流行した布・樹脂でできた固定ポーズをしているものなど、さまざまだそう。

 西洋人形はもともと「ファッションドール」と呼ばれており、貴族の要望によってマネキンを親しみやすい人形にしたもので、一部の貴族のみが所有できる高価なものだったそう。等身大のマネキン人形と同様に、トレンドの服を着せてファッションを楽しんだといいます。その後、「ベベドール」と呼ばれる子どもの玩具として製造されるようになったそう。

 ファッションやメイクの色味、眉の太さなど、時代ごとのさまざまな流行を見ることができる西洋人形をはじまりとして、多種多様なフランス人形が作られるようになったといわれています。

 かつてヨーロッパで流行した西洋人形は材質なども含めて日本でも流行したものの、各家庭で親しまれたフランス人形はヨーロッパのものとは属性が異なるのだとか。ヨーロッパと日本、それぞれのフランス人形にはどのような違い・特徴があるのか? 国内でフランス人形が普及した1970年代から現在にわたって製造を続ける、愛知県名古屋市のスキヨ人形研究所で代表取締役を務める山崎さんに、流行のきっかけや特徴について話を聞きました。

――フランス人形はいつごろ流行した?

【山崎さん】 1960〜1970年代後半に流行しました。最も売り上げが上がったのは1977〜1978年ごろで、年間8万本以上もの販売数を記録しました。当時、フランス人形は1本約1〜2万円ほどで販売されていたため、総額にしておよそ8〜9億円を売り上げていました。

――流行のきっかけは?

【山崎さん】 昭和の日本でフランス人形が流行したのには、当時の住宅事情の変化が大きく関わっているようです。日本では古くから結婚祝いや花嫁道具として鑑賞用の日本人形を送る慣習がありました。しかし、昭和後期には従来の畳部屋を中心とした和の住宅から、洋室中心の住宅に変化。これにより、フランス人形の需要が高まりました。

――どのような人が購入していた?

【山崎さん】 贈答用として購入されることが多かったので、40代以上の方が多かったのではないでしょうか。当時のフランス人形は手に取って遊ぶ子ども向けの人形ではなく、おもにガラスケースなどに入った鑑賞用の人形商品だったので、大人から大人に贈るというのが最も多いパターンでした。リビングのサイドボードやピアノの上、玄関などに置かれていたイメージがあります。

――当時のフランス人形の特徴は?

【山崎さん】 ヨーロッパなどで作られていた骨董品のフランス人形とは異なり、当初、体は布帛(ふはく)という布製の材質で作られていました。その後1970年ごろには大量生産のしやすさ・表情の出しやすさなどの観点から、樹脂製へと変化しました。売り上げピーク時はこの樹脂製が中心でした。

おめでたい贈り物として選ばれていたため、衣装は赤、ピンク、黄色などの派手な色が好まれていました。黒や紺色など、控えめな色の衣装を着た人形もあったのですがあまり売れなかったようです。そして、40〜50センチくらいのガラスケースに入っているのが当時のフランス人形の特徴でした。

――フランス人形を製造している会社は多かった?

【山崎さん】 当時は多くの工房や会社で作られていました。各社それぞれのブランド名を使って製造しており、弊社では『リボン印』というブランド名で多くのフランス人形を販売していました。

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 昭和に流行したフランス人形の多くは、名古屋を中心に製造が行われていたそう。しかし今では、名古屋でフランス人形の製造を行うのはスキヨ研究所のみとなったのだとか。そんなスキヨ研究所も現在はひな人形を中心に製造を行っているそうですが、今も年に20〜30本ほどのフランス人形の製造を続けているといいます。

 色鮮やかな衣装を身にまとったフランス人形は見ているだけでも楽しめるため、親族や友人などのプレゼントにいいかもしれません。

(取材・文=濱田象太朗)