元ソフトボール日本代表で、2008年北京五輪金メダルメンバーの三科真澄さんがラジオ番組にゲスト出演。過去の五輪出場時の苦い経験や、挫折を乗り越えられた理由、周りへの感謝の気持ちなどを語りました。

 ソフトボールが五輪種目に正式採用されたのは、1996年のアトランタ五輪のとき。当時、中学3年生だった三科さんは「日々の練習に一生懸命で五輪を感じることができなかった」そう。それでも、「社会人になり、入社した年(2000年)に先輩たちがシドニー五輪に出ていたのを見て『私もオリンピックに出たい』と思った」と、心境の変化を明かします。

 その後、日本代表入りした三科さんは、上野由岐子選手らとともに2004年のアテネ大会で初めて五輪の舞台に臨みましたが、そのときの結果は銅メダル。シドニーで銀メダルだった日本としては、「次は金だろう」と期待されていただけに、不本意な結果に。三科さんも自分自身の不甲斐なさも感じ「もうソフトボールをやめよう」と考えたそうです。

 三科さんは、「アテネの大会はまったく覚えていない。記憶が飛んでいる。オリンピックの重圧に負けて帰国したような気持ちだった」「ボールを握るのも、球場でいろいろな人に会うのもこわかった」と、そのときの思いを語りました。

 ただし、ソフトボールのシーズンは11月まで続いていたこともあり、「その期間中に辞めるとチームに迷惑をかけてしまう。だから、グラウンドに出るときはしっかりと自分の役割を果たすことを決意した」と、途中で投げ出すようなことはしなかった三科さん。その間に、同じ気持ちを共有していた先輩たちや監督に支えられたといいます。

「私がやめようと思っていることに気づいた監督から、『あと1年頑張ってくれ』と頭を下げていただいた。その気持ちをしっかりと受け入れ、育てていただいた監督に恩返しができるのであれば、1年間続けさせてくださいと伝えた」(三科さん)

 その後、気持ち新たに活躍を続けた三科さんたちに、五輪でのリベンジの機会が訪れます。

 当時、ソフトボールの五輪正式競技としては最後の大会となった2008年北京五輪で、予選リーグをアメリカに次いで2位で決勝ラウンドに進んだ日本。準決勝で一度アメリカに敗れるも、3位決定戦ではアテネで苦渋をなめさせられた相手・オーストラリアに4-3でサヨナラ勝利。

 決勝に上がる権利を得ると、そのファイナルでは、ラスト3試合を完投した上野投手の熱投、三科さんの好打の活躍などもあり、日本は悲願の金メダルを獲得。三科さんも「気持ちよかったですね!」とにこやかに当時を振り返るように、ソフトボール日本代表は歓喜に酔いしれました。

 2000年から2009年までプレーしたソフトボール日本女子リーグでは、ショートで2度のベストナイン、3度の本塁打王に輝いた三科さん。現役引退後は大学の監督を8年間、実業団のコーチを2年間つとめるなど、指導者として歩みますが、病を患った母親の介護のため「仕事を一切やめた」そうです。

 それでも、「ソフトボールにずっと携わってきたが、いざパッとやめて、これから何をしていこうと迷ったときに、ちょうど学ぶきっかけができた」という三科さんは、「ソフトボールで育ててもらったので恩返しをしたい」という思いで、今もさまざまな活動を続けています。4月27日(土)には、群馬県太田市運動公園市民体育館で行われるイベントにも参加し、ソフトボールの魅力を伝えていくとのことです。

※ラジオ関西『アスカツ!』2024年3月30日放送回より