だるまをかたどったプラスチック製の赤い容器。その姿を一度は目にし、手にしたことがある人は多いだろう。群馬県の高崎弁当(高崎市倉賀野町)が手掛ける「だるま弁当」は、発売からもうすぐ60年を迎える。見た目のインパクトだけでなく、旅人のお腹を満たしてきた駅弁は、時流に乗って進化を続けている。(和田亮介)◎なじみの赤い駅弁 普茶料理風で滋味 本社工場内のベルトコンベヤーに、なじみの赤い容器が次々と流れてくる。従業員は一列に並び、手際よく具材を盛り付ける。最後にだるまの顔がデザインされたふたをかぶせ、包装すれば完成だ。 だるま弁当(1個1000円)は不動の人気商品で、月に1万2000〜1万3000個を出荷する。夏休みから秋の行楽シーズンにかけての今の時期が、一年のうちで最も忙しくなるという。 この弁当が登場したのは1960年のこと。少林山達磨寺(高崎市鼻高町)の「だるま市」で有名だった縁起物のだるまにあやかろうと販売を始めた。発売当初はややこわもての達磨大使のデザインで、瀬戸物の容器を使っていた。 当時の駅弁販売は、販売員が肩から提げた箱にたくさんの弁当を積んでホームに立ち、列車が到着するたびに車窓越しに乗客に手渡していた。■熱を逃がす穴 72年に入社し、長年にわたり製造部門を担当してきた佐藤文雄さん(68)は当時の忙しさを鮮明に覚えている。機械は無かったため、おかずの仕込みなど何から何まで手作業だった。「本当によく売れたから、販売員に『早く作ってくれ、もっと作ってくれ』とハッパを掛けられて、製造現場はものすごい熱気だった」 ただ問題があった。瀬戸物の容器は重くて、「ぎっくり腰になる販売員もいた」(佐藤さん)。持ち運びに不便な上、割れやすいといった難点もあった。 そこで73年、大きさや形など何種類も試作を重ね、現在でも使用されている赤いプラスチック製の容器に“衣替え”した。瀬戸物よりプラスチックの方が高価だった時代に、販売員と消費者双方の要望に応えるために大きな決断をした。 容器をよく見ると、だるまの口の形に添って穴が開いている。これには意味がある。「食品衛生上、密封した時、中にこもる熱気を逃がす必要があった。そのための穴です」。取締役総務部長の木暮敏さん(57)は説明する。 額部分にも二つの小さな丸い穴がある。これも同じ目的だ。ちなみに、こうした蒸れを防ぐ穴は瀬戸物の容器の時にも設けられていた。■貯金箱で活用 中身の具材は江戸時代に中国から伝わった精進料理で、山の幸を中心とした「普茶料理」を参考にしている。 見た目の色合いから「茶飯」と呼ばれるしょうゆベースで味付けしたごはんの上に、山菜きのこ煮、穂先竹の子煮、シイタケ煮など滋味あふれる食材を12種類添える。 もともと丸い形だったこんにゃくは四角にしてお年寄りでもかみ切りやすいように筋を入れるなど、時代の変化に応じてリニューアルを繰り返してきた。 食べ終わった残りの容器は、主に貯金箱として活用されることが多い。同社ではそれぞれの硬貨が容器に何枚入るか試したことがある。十円と百円硬貨は650枚、五百円硬貨は540枚(27万円相当)入ったという。■県外ファンも 現在は東京駅や高崎駅構内の駅弁店などで取り扱う。昔からの変わらぬ味を懐かしんで購入していく人は後を絶たない。佐藤さんが店長を務める本社前の「たかべん食堂」には、東京や横浜在住で本県への帰省ついでに立ち寄る人もいる。忘れられない郷土の味が多くのファンを引きつけている。 近年の健康志向の高まりを受け、ヘルシーなだるま弁当が女性から支持を集めているという。この需要は高まると期待する。具材をさらに見直し、より低カロリーな商品開発も視野に入れる。 木暮さんは弁当作りに関わる全ての人の思いを代弁する。「だるま弁当は当社にとって誇り。社会のニーズを踏まえながら、これからも伝統の味を届けていきたい」 【データ】 創業は1884(明治17)年で、高崎弁当としての会社設立は1958年。2012年に現在の本社工場が完成した。駅弁や仕出し料理の製造販売のほか、県内外の高速道路サービスエリアなどを計5店舗運営する。◎陶器やキティ容器にも工夫 だるま弁当にはいくつも関連商品がある。2006年に発売した「復古だるま弁当」は、容器が瀬戸物だった当時のデザインを陶器で忠実に再現した。中身は鶏肉をはじめ県産食材をふんだんに使った。 2000年にはサンリオと協力して「ハローキティのだるま弁当」を発売。だるま風のハローキティをかたどった容器は子どもだけでなく女性からも人気がある。空容器は小物入れや普段使いの弁当箱として活用されているという。 赤色以外のだるま弁当を期間限定で販売したこともある。1997年の長野新幹線開業時に緑色、翌年の長野五輪開催記念時には白色が登場した。