外からの刺激に敏感なことで、日常にさまざまな支障をきたす「感覚過敏」。

 一般的にはまだ馴染みのないこの症状への向き合い方について著した書籍『感覚過敏の僕が感じる世界』が7月29日に刊行されました。

 上梓したのは、自身も感覚過敏の当事者である加藤路瑛さん(16歳)。加藤さんは、感覚過敏からくる“困りごと”の解決・対策を目的とした事業を展開しながら、症状の研究や啓蒙活動に取り組んでいます。

 現在高校2年生の加藤さんは、本書内でこのように力強く語ります。

<みなさんの人生が少しでもよくなるように、少しでも悩みが減るようにと願いながら、僕が見えているこの世界を、僕が感じるこの世界を、16歳という子どもとおとなの境界線に立ちながら、時に子ども目線で、時におとな目線で綴りたい。>

 今回は加藤さんに、感覚過敏の子どもたちが抱える“困りごと”の実態、またその悩みを軽減させるため大人ができることについて話を聞きました。

◆感覚過敏の困難さは「靴の中の小石」のよう
──著書『感覚過敏の僕が感じる世界』では、人それぞれに異なる「感覚過敏」について解説していますね。

加藤路瑛さん(以下、加藤):はい。まず感覚過敏というのは、視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚などの諸感覚が過敏になっていることで、日々の暮らしに困難さを抱えている状態のことをいいます。

 感覚過敏は病気ではなく症状のことを指し、視覚過敏を持つ人であればパソコンの画面や照明の眩しさで体調が悪くなったり、また聴覚過敏を持つ人だと、日常の生活音や人の話し声なども気になったり頭痛を起こしたりすることもあります。また嗅覚過敏だとレストランの匂いでつらくなる、触覚過敏だと衣服の縫い目やタグが痛く感じる、味覚過敏は味に敏感で食べられるものが極端に少ないといった症状もあります。

 僕の場合、視覚過敏は少し弱めで聴覚過敏は強めと、その症状は人によってそれぞれなのです。

──その症状を感覚過敏ではない人に向けて説明する上で、「靴の中の小石」という例えを用いていたことも印象的でした。

加藤:靴の中の小石を不快に思っていても少しの間なら辛抱できますが、ずっとその状態が続くと耐えられなくなりますし、そのまま放置しておけば痛さはどんどん増していきますよね。

 それと同様に、感覚の刺激でつらいと感じても一瞬くらいであれば我慢できることは多いのですが、長い時間症状が続けばそのぶん、つらさが大きくなってしまいます。感覚過敏の困難さは「靴の中の小石」をイメージしてもらえると分かりやすいと思います。

◆クラスメイトの話し声で体調が悪くなった
──加藤さん自身が感覚過敏ということを自覚したのはいつだったのでしょうか。

加藤:今思い返すと、僕は小さい頃から感覚過敏だったと思います。しかし親もその言葉を知るまでは、ただ好き嫌いが多くて“神経質でわがままな子”なんだと思っていました。

「感覚過敏」という言葉を知ったのは、中学1年生のことです。教室で聞こえるシャーペンのカチカチ音やクラスメイトの話し声で体調が悪くなることを保健室の先生に相談したところ、「聴覚過敏なのではないか」と言われたことがきっかけでした。その後、家族で感覚過敏について調べてみると、僕が抱えていた困りごとと一致するような症状だと分かりました。

 その時、「ようやく自分が悩んでいたことの原因が分かった」と安堵したことを覚えています。それまで抱えていたつらさが何だか分からなかったところから、その原因が具体的に分かったことで精神的にラクになったところがありました。

──ご家族の反応はどうでしたか?

加藤:家族も安心したようでした。生まれた頃から身体が小さかったこともあり、親は食事を多くとってほしかったようなのですが、僕は食べられないものが多くてそのたびに心配をかけていて。でもそれが感覚過敏によるものと分かってからは、僕が食べられるものをルーティン化して用意してくれるといった具体的な対策がとれるようになりました。

 他にも、たとえば、外出や旅行の際もレストランに入らず、車の中でお弁当を食べたり、親は親で私に合わせず好きなものを食べてもらうようになったり。そういった変化によって、家族関係もさらに良好になったように思います。

◆大切なのは「それぞれの感覚を認め合うこと」
──本書で解説を寄せている兵庫教育大学准教授の小川修史先生は、「感覚過敏は周囲から認識することが難しく、『なまけている』や『わがまま』ととらえられることも実際に多くあります。結果的に自己肯定感や自尊心が低くなり、不登校などにつながるケースがあります」(『感覚過敏の僕が感じる世界』P97より)とつづっていましたね。

加藤:そうですね。感覚過敏によって、日常生活を送る中で大きなストレスを感じたり体調変化が激しく、将来に不安を覚える方も多いと思います。だからこそ、感覚過敏を理由にやりたいことを諦めるのではなく、自分なりにできる方法を探っていってほしいという思いから、この本を書こうと思い立ちました。

──加藤さんは、給食や制服についてなど、学校生活を送る上で感じた困難さを取り上げています。また「食事はみんなで楽しく」といったような、“幸せの画一化”の問題点にも焦点を当てていますよね。

加藤:はい。実際に、感覚過敏の子どもを持つ親御さんが抱える悩みを聞いていると、学校生活に上手く適応できないといった内容がとても多いです。みんなに同じ行動を求める体制は、特に感覚過敏の人たちにとって多くの困りごとを生む原因になってしまうと思います。

 そんななか、自分の五感について自覚的になろうという“センサリーフレンドリー”、また人それぞれ異なる感覚の多様性を認め合う“ニューロダイバーシティ”といった価値観が重要になっていくのではないかと考えています。

 僕もみんなと同じことを楽しめるものなら楽しみたいという気持ちはありつつ、例えばみんなと同じメニューの給食を食べることを強制されて、食事が“義務”になってつらいものになってしまった経験もあります。それぞれの感覚を認め合う体制にすることで、みんなが過ごしやすい環境になるのではないかと思います。

◆困りごとに対し“新しい道”を提示してくれた大人の存在
──これまで周囲が取った行動により、加藤さんの抱える困りごとが軽減された経験はありますか?

加藤:感覚過敏によってできないことや苦手なことが多いからこそ、やったアクションに対してポジティブな反応をしてもらうことで「またやってみよう」という意欲が高まった気がします。

 また何かしらを押し付けられるということは誰しもにとってつらいことですから、できないものを強制されることは、感覚過敏の症状をより助長させる原因になってしまうと思います。なので「やらせる」ではなく、共同作業といったやり方を取ってもらうほうが気がラクになります。

──幼い子どもは特に、自分の抱える困りごとについて言語化できないケースが多いからこそ、周りの大人たちの理解と柔軟な対応が求められるのですね。

加藤:そう思います。「誰しもができて当たり前」とされていることが感覚過敏を持つ人にとっては当たり前ではないこともあるので、それぞれの中で常識を問い直しながら接する必要があります。

 例えば僕にとって、食べられないものを提供される給食の時間は地獄でしかなく、給食を理由に学校に行きたくなくなってしまったほどでした。そういったなかで、担任の先生が校長先生に交渉してお弁当の持参を許可してくれたことがありました。

 他にも保健の先生が、それまで知らなかったデジタル耳栓の使用を提案してくれたおかげで、教室の雑音からくる不快感が軽減されたこともあります。

 このように、それまで常識とされていたことに対して今までとは違う新しい道を提示してくれた人たちの姿勢を通じて、固定観念を壊すということに“より快適な暮らし”の秘策がある、という価値観を発見することができたように思いますね。

<取材・文/菅原史稀>