日本のレーシングカー・コンストラクターの草分けである神谷誠二郎さんが、昨年暮れも押し迫った12月29日、病気のために亡くなった。72歳だった。12月に入って病気療養中と聞いていたが、残念ながら帰らぬ人となった。

 神谷氏は京都出身。若いときにはジムカーナに参戦、西日本チャンピオンにも輝いている。しかし、自ら走るよりレーシングカーを作りたいという気持ちが強く、ベルコ・レーシングカーで有名な鈴木板金(現ベルコ)へ入り、レーシングカーの車体設計を修得した。1973年、独立して滋賀県草津市に鈴木板金の関西代理店を兼ねてベルコウエストを設立、独自のレーシングカー製作を開始した。その第一号がFL500のWEST756。1975年、このクルマに乗って中嶋悟がFL500シリーズのチャンピオンに輝いている。

 1977年、鈴鹿サーキット近くの三重県鈴鹿市住吉町に移転。精力的にレーシングカーの製作を続けると同時に、入門クラスのレースを日本各地で開催し、モータースポーツの裾野を広げる役目を果たしてきた。1983年、会社を法人化するのを機に、社名をウエストレーシングカーズ株式会社とした。以来、FJ1600、F4などの入門フォーミュラカー、ザウルスなどのワンメイクレーシングカーなど、じつに多くのカテゴリーのクルマの開発を手がけてきた。

 最近では、2009年に開発した市販エンジン搭載のVITA-01が注目を浴びている。VITA-01のワンメイクシリーズが国内外のサーキットで開催され、女性ドライバーだけのKYOJO CUPレースや引退したプロドライバーが争うLegend Cupなどにも採用されている。

 神谷氏はレーシングカー作りへの情熱に加え、アイデアマンとして様々なレースシリーズを企画、老若男女を問わず参加出来るレースを開催してきた。それも日本だけに留まらず、韓国、フィリピンなどアジアの国々で開催、ウエストレーシングカーズの名前を立派なアジアブランドに仕立て上げた。これまでウエストレーシングカーズが製作したレーシングカーの数は1300台を超える。

 2019年のシーズンが終了し、ウエストレーシングカーズのYear Ending Partyでは元気な姿を見せていた神谷氏。2020年に向けてさらなる飛躍を誓った矢先の死に、多くのモータースポーツ関係者から惜しむ声が聞かれた。