2021年、角田裕毅がアルファタウリ・ホンダのシートを手にし、F1デビューを果たすことになった。小林可夢偉以来、実に7年ぶりの日本人F1ドライバーの誕生である。

 小林は2009年のシーズン最終盤にトヨタからF1デビュー。翌年は同チームでレギュラー参戦するものと見られていたが、この年限りでトヨタはF1から撤退。ただ小林はザウバーのシートを手にすることになり、印象的な活躍を見せることになる。

 そんな中で最も輝きを放ったのが2012年である。2012年のザウバーはC31を投入。フェラーリのエンジンを搭載するこのマシンは、排気ガスを積極的に活用するなど空力効率にも優れ、シーズン開幕当初から高い戦闘力を発揮した。

 このザウバーC31は、ジェームス・キーがデザインを担当。後にトロロッソ、そして今はマクラーレンで辣腕を振るうエンジニアだ。彼は潤沢な資金はなくとも戦闘力の高いマシンを生み出すことに定評があり、このC31もコストパフォーマンスに優れたマシンだった。

 結局この年のザウバーは表彰台獲得回数4回、126ポイントを稼ぎ、コンストラクターズランキング6位となった。同年のランキング5位は、今や絶対的なトップチームとしてF1に君臨するメルセデス。その差はわずか16ポイントだった。

 このマシンは、同年トップクラスのポテンシャルを秘めていたという評価もある。しかしチームがそれをしっかりと引き出すことができず、コースによって好不調が激しかった。

 当時の小林のチームメイトは、2021年にレッドブル・ホンダ入りすることになったセルジオ・ペレス。ペレスは4回の表彰台のうち3回を獲得。マレーシアGPとイタリアGPでは2位に入るなど、66ポイントを獲得してランキング10位となっている。

 小林はランキング12位だったが、ペレスとの差はわずか6ポイント。表彰台が1回だったとはいえ、中国GPではファステストラップ、ベルギーGPではフロントロウを獲得している。このフロントロウは、日本人ドライバーとしては2004年ヨーロッパGPの佐藤琢磨以来ふたり目のことだった。

 しかしとにもかくにも、小林が最も”魅せた”レースは、第15戦日本GPだった。

 3番グリッドからスタートした小林は、スタートで2番手に浮上。ポジションを争っていたジェンソン・バトン(マクラーレン)がピットインしたのをカバーする形で、14周で彼もピットに入り、タイヤを交換する。バトンの前をキープすることはできたものの、ピットインを遅らせていたダニエル・リカルド(当時トロロッソ)に引っかかってしまい、ペースを上げることができなかった。その間にレース序盤に4番手を走っていたフェリペ・マッサ(フェラーリ)が先行、2番手に浮上されてしまうことになり、小林は3番手にポジションを下げてしまった。

 2度目のピットストップを終えた段階でも、小林はバトンの前をキープ。しかし、バトンが徐々に差を詰め、そして小林にプレッシャーをかけていく。ただ小林は、なんとか3番手のポジションをキープし、セバスチャン・ベッテル(レッドブル)、マッサに次ぐ3位でフィニッシュ。自身初、日本人ドライバーとして3人目の表彰台フィニッシュを果たした。最終的なバトンとの差は、わずか0.56秒だった。

 チェッカーが振られた後、鈴鹿は興奮の坩堝に。スタンドからは「カムイ!」コールが贈られた。

 印象的な活躍を見せた2012年の小林だが、結局翌年のシートを手にすることができず……活躍の場をWECに移すことになった。2014年にはF1復帰を果たすものの、そのチームは弱小のケータハム。入賞を争うことすら難しいチーム状態であり、シーズン後半には資金を持ち込んだ他のドライバーにシートを奪われ、同年限りでF1を去ることになった。

 ただその後の小林は、WECを始め様々なカテゴリーで活躍。今もその速さを発揮し続けている。そしてペレスも2020年にF1初勝利を手にし、2021年はレッドブル・ホンダのドライバーとして更なる好結果が期待される存在となった。