F1の長い歴史の中で、日本のコンストラクターが挙げた勝利は3回。1965年メキシコGP、1967年イタリアGP、そして2006年ハンガリーGP……いずれもホンダによるものだ。

 これに続く可能性があったのがトヨタである。トヨタは2002年にF1デビュー。結局2位が最高位であり、優勝には届かなかった。

 トヨタが最も勝利に近づいたのは2009年。この年はレギュレーションが大きく変わり、勢力図が一変したシーズンだとして知られている。

 2008年シーズンまで、各F1チームは空力パフォーマンス追求のため、様々な細かい空力パーツをマシンに取り付けていた。そのため、そのマシンの形状は実に複雑怪奇……重箱の隅を突くような開発はあまりにも現実離れし、開発費用も年々高騰していった。

 この状況を抑えるため、この2009年シーズンからはシンプルな外見のマシンにすることが目指された。それに伴いフロントウイングの横幅は広く、リヤウイングは狭く高くなり、タイヤも前年までのグルーブドタイヤからスリックタイヤに戻された。

 また動力源についても新時代に突入した時代である。前年まで各車は、自然吸気V8エンジンを動力源としていた。しかしこの2009年からは運動エネルギー回生システム(KERS)の使用が解禁された。現在の”パワーユニット(V6ターボエンジン+運動&熱エネルギー回生システム)の源流となるシステムである。

 当時、ブレーキング時の運動エネルギーを回生してバッテリーに蓄えられた電気は、ドライバーがステアリング上に設けられたボタンを押すことで放出のタイミングをコントロールするようになっており、例えばストレートスピードの加速性能向上といった目的のために使われていた。ただ開発途上のシステムであったために重量が重く、マシンの運動性能に影響を及ぼすことになった。しかも使用は義務ではなく、使わないことを選択するチームもあった。結局マシンに搭載したのは、マクラーレン、フェラーリ、ルノー、BMWザウバーといった前年上位を争ったチームのみだった。

 シーズンが開幕してみると、速さを見せたのはこのKERSを搭載しなかったマシンたち。中でも、前年までのホンダのファクトリーやマシンを引き継ぎ、メルセデス製エンジンを搭載したブラウンGPが、驚異的な速さをみせた。なお同チームは、ホンダ時代にKERSを開発していたが、実戦投入はしなかった。

 トヨタもKERSの開発を進めていたものの、実戦では使用しないことを決断したチームのひとつであり、テストの段階から速さを見せた。

 しかもブラウンGPとトヨタには共通点もあった。それは、マルチディフューザーを搭載してきたということだ。この2チームとウイリアムズは、二重構造化したディフューザーを採用。これによりフロアで発生するダウンフォースを増強させ、高いパフォーマンスに繋げたのだ。

 開幕戦ではブラウンGPが1-2フィニッシュ。中でもジェンソン・バトンは、開幕7戦中6勝を挙げる絶好のスタートダッシュを切った。チームメイトのルーベンス・バリチェロもこの間に3度の2位表彰台を獲得するなど安定した速さをみせた。

 TF109を走らせたトヨタ勢は開幕2戦連続で3-4位。中国ではティモ・グロックの7位が最上位だったが、ギヤボックス交換によるペナルティのため19番グリッドからのスタートだったことを考えれば、その速さを発揮したと言えるだろう。

 そして迎えた第4戦バーレーンGP。トヨタに優勝のチャンスがめぐってきた。トヨタはシーズンオフにこのバーレーンで10日近くテストを繰り返しており、しっかりとタイヤに関するデータも収集済み……陣営も自信を見せていた。

 初日のフリー走行では、2回目にヤルノ・トゥルーリが記録した3番手が精一杯。そして土曜日のフリー走行ではグロックがトップタイムを記録する。この時点でトヨタ勢は一躍優勝候補になった。

 予選ではその前評判通り、トゥルーリがポールポジションを獲得。グロックも2番手に入り、フロントロウを独占することになった。トゥルーリが3番手のセバスチャン・ベッテル(レッドブル)につけたタイム差は、約0.6秒……圧倒的な差であった。

 ただこの結果を両手を挙げて喜べない理由があった。当時は予選Q3のアタックは、決勝レーススタート時に搭載するのと同じ量の燃料を積んで行なわねばならなかった。トヨタ勢が後続にこれだけの差をつけられたのは、燃料搭載量が少なかったから。実際、トゥルーリはベッテルよりも10kg以上軽い燃料でアタックしていたのだ。これは、トゥルーリの最初のスティントが、ベッテルよりも4周程度短くなることを意味している。しかも計算上は、ベッテルと同じ量の燃料でアタックしたとしても、トゥルーリの方が速かったはず……トヨタ勢は戦略の幅を狭めることになってしまったのだ。

 トヨタ勢2台は決勝レースで無難なスタートを決め、1-2を堅持。そして2周目には、怖い相手が3番手に上がってきた。バトンである。バトンはトヨタ勢より2周ほど長い距離を走れる燃料を搭載していたが好ペースで走り、トヨタ勢にプレッシャーをかけた。

 トゥルーリは12周を走り終えた段階でピットに入り、2セット目のタイヤを履いた。ここで彼らが選択したのはミディアムタイヤ。ただこのミディアムタイヤが当時のコンディションには合わず、ペースが上がらない。そのため、ピットストップを遅らせたバトンにオーバーカットを許し、首位のポジションを奪われてしまう。しかもトヨタ以外の多くのチームは、2スティント目にスーパーソフトタイヤを選択。トヨタ勢は徐々に引き離されていった。

 トゥルーリは2回目のストップでも、ベッテルにオーバーカットを許し3番手に後退。最後のスティントでスーパーソフトを履いたトゥリーリは、ミディアムタイヤを最後履かねばならなかったバトンとベッテルに迫るが、抜くまでには至らず……結局3番手でのフィニッシュとなった。

 後に、当時トヨタF1チーム代表を務めていた山科忠は、予選での燃料搭載量が少なすぎたことを認めている。その原因は、実はFP3にあった。このセッションでグロックはトップだったが、トゥルーリは9番手。これで、自らのパフォーマンスを読み違えてしまったのだ。その状況に対処するため、2スティント目でミディアムを使う戦略が立案されたが、それが裏目に出てしまった。

 勝負にたらればは禁物である。しかしより多い燃料を搭載して予選に臨み、2スティント目でもスーパーソフトタイヤを履いていたら、勝利の可能性はかなり高まっていたはずだ。

 シーズンが進むにつれ、各チームKERSを含めたマシンの熟成が進み、マクラーレンやフェラーリが勢いを取り戻していった。ライバルが増えたことでトヨタの勝利の可能性は薄まり、シンガポールでグロックが、鈴鹿でトゥルーリが2位に入ったのが最上位。勝利を手にできなかった。

 ただ終盤2戦、このマシンを走らせたのが小林可夢偉である。小林にとってはこの年のブラジルGPがF1デビューである。2レースのみの参戦ながら、最終戦アブダビGPではバトンとの戦いを制して6位入賞。周囲に強烈な印象を残した。

 当時はリーマンショックの影響が色濃く残っていた時代。トヨタもその例外ではなく、2009年シーズン限りでのF1撤退を余儀なくされた。チームはすでに翌年用マシンTF110を完成させていたが、実戦を走ることはなかった。一時は新規チームのステファンGPがこのマシンを引き継いで参戦するという話もあったが、最終的に実現せず……このTF110はかなりの自信作だったという声もあり、その実力を確認できなかったのは残念この上ない。