F1・ザ・ルーツ:2022年圧倒的な強さでF1を制圧。レッドブルの原点は、伝説のドライバーが立ち上げたあのチーム
そのレッドブルの原点は、1997年に遡る。
この1997年、ある新チームがF1にデビューした。スチュワート・グランプリである。このスチュワート・グランプリは、国際F3000に参戦していたポール・スチュワート・レーシングを母体に設立されたチーム。完全に新規参戦チームとしてF1に挑んだ。
その1年目は、ルーベンス・バリチェロとヤン・マグヌッセン(現ハースのケビン・マグヌッセンの父親!)のコンビ。フォードのZetec-Rエンジンをワークス待遇で供給され、新規参入したブリヂストンタイヤを履いた。
雨となったモナコGPでは、バリチェロが2位入賞。しかしこれが、シーズンを通じて唯一の入賞となった。
翌年も同じ体制で参戦したが、第8戦フランスGPからはマグヌッセンに代わりヨス・フェルスタッペン(マックス・フェルスタッペンの父親!)がドライブ。しかしフェルスタッペンは入賞を果たすことができず、バリチェロとマグヌッセンによる合計3回の入賞に留まった。
ただ1999年には躍進を遂げ、4回の表彰台を獲得。フェルスタッペンの後任としてチーム加入を果たしたジョニー・ハーバートが、ヨーロッパGPでチームに初勝利をもたらした。
この年の6月、アメリカの自動車メーカーであるフォードがスチュワートを買収。傘下のブランドであるジャガーの名前を冠し、ジャガー・レーシングとしてF1への参戦をスタートさせることになった。
ジャガーの名で参戦を開始した2000年。バリチェロの後任としてエディ・アーバインがフェラーリから移籍。ハーバートとコンビを組むことになった。しかし1999年の好調ぶりから一変し、成績は低迷。2001年のモナコGPと2002年のイタリアGPではアーバインが3位表彰台を獲得したもののそれが最高位で、コンストラクターズランキングでも6位以上になることはできなかった。
2004年のモナコGPでは、映画のPRとしてノーズ先端にダイヤモンドを取り付けて走ったが、そのマシンを走らせていたクリスチャン・クリエンがクラッシュ。ノーズの付けられていたダイヤモンドを紛失するという”事件”が起きたのはあまりにも有名だ。
成績低迷に伴いフォードは、2004年限りでF1を撤退することを決めた。このジャガーを買収する形で誕生したのが、レッドブル・レーシングである。