2023年のF1では、2019年を最後にレギュラーシートから遠ざかっていたニコ・ヒュルケンベルグがハースのドライバーとして復帰を果たす。そのチームメイトは偶然にも、2022年に2年ぶりのF1カムバックを果たしたケビン・マグヌッセンだ。

 このようにF1では、一度現役を引退したドライバーやF1を離れていたドライバーが復帰を果たすケースが多々ある。今回はF1公式YouTubeでも紹介された著名な例を振り返っていく。

■1. ナイジェル・マンセル(1980年〜1992年, 1994年〜1995年)

 1980年代〜1990年代初頭にかけて、ウイリアムズやフェラーリのドライバーとして活躍したマンセル。長年活躍するもタイトルにはなかなか手が届かずにいたが、1992年にハイテク武装のウイリアムズFW14Bを駆って圧倒的な強さでシリーズチャンピオンに。“無冠の帝王”を返上したが、チームは翌年のドライバーとしてアラン・プロストを起用することを決定。マンセルは駆け引きに疲れたとされ、この年限りでF1から引退することを表明した(フェラーリ時代にも引退を表明したことがあったが、これは後に撤回している)。

 1993年からはアメリカのCARTに戦いの舞台を移し、1年目からいきなりチャンピオンに輝いてみせたマンセルだったが、1994年のアイルトン・セナ事故死が彼のキャリアにも影響を与えることとなる。

 スターを失ったF1とセナの所属チームであったウイリアムズは、ニューマン/ハースからCARTに参戦するマンセルを呼び戻すことにした。マンセルはまずフランスGPでF1復帰を果たすと、CARTのシーズン終了後はF1の終盤3レースに出場。日本GPではフェラーリのジャン・アレジとドッグファイトを繰り広げ、最終戦オーストラリアGPではタイトルを争うミハエル・シューマッハーとデイモン・ヒルの接触を尻目にポールトゥウィンを飾り、健在ぶりをアピールした。

 翌1995年、マンセルはマクラーレンと契約したが、コクピットが身体に合わず序盤2戦はマーク・ブランデルにシートを譲る形に。専用のモノコックが作られた第3戦から復帰したが、わずか2戦で自らF1の舞台から降りることを決断した。