山形県米沢市の笈掛(おいかけ)昇さん(78)は13年前、定年退職を機にボランティアを始めた。50歳で習いだした油絵に磨きを掛け、昔話の語り手となり、琵琶も演奏する。これらの特技を生かして市内の福祉施設などを慰問してきた。
 東日本大震災後は月に数回、宮城県南三陸町を訪れている。仲間から募った段ボール22箱分の玩具を届けたのが2012年1月。以来、1人で子どもたちに季節の果物を届け、自作の紙芝居を上演している。
 一つの幼稚園からスタートした支援先は今では7カ所に。震災発生当初の街の惨状と、それでも明るさを絶やさなかった子どもたちの笑顔を思い出すと、何度通っても目頭が熱くなる。
 未就学児約200人に配る大量の贈り物を自家用車に詰め込み、片道4時間かけて現地に赴く。時に車中泊することもある。
 震災時にはまだ新しかった車は昨夏、走行距離が18万キロとなり、新車に買い替えた。「やれることをやっているだけ。体力の続く限り、子どもたちの笑顔に会いに行きます」(米沢支局・相原研也)