約7500戸の住宅が全半壊し、国が耐震基準を見直す契機となった1978年の宮城県沖地震から12日で43年となる。仙台市泉区の1級建築士安田功明さん(67)は地震後、コンクリートに斜めに亀裂が入る「せん断破壊」による建物被害を目の当たりにした。当時撮影した写真を手に「揺れのエネルギーを吸収し、地震で壊れない建物を造ることが一番大切」と心に刻む。

 地震などに備えて建物の柱や梁(はり)の形状、配置を考える構造設計が専門。設計会社に入って3年目、市中心部のビル3階の事務所で宮城県沖地震に遭った。
 「地鳴りと突き上げるような揺れを感じ、建物から『バキン、バキン』という音がした。外では隣接していた土蔵がつぶれ、大量の土ぼこりが舞っていた」
 約1週間後、自社が建設に関わった建物の調査に向かい、道すがら被災状況をカメラに収めた。現在の若林区では1階の柱が折れたビルが傾き、泉区の泉高も1階の柱が損傷した。いずれも、せん断破壊が原因だった。
 せん断破壊は68年の十勝沖地震でも多発した。柱がつぶれて建物が倒壊する恐れがあり、国は71年に建築基準法施行令を改正し、縦の鉄筋にあばら骨のように横に巻く鉄筋(帯筋)の間隔を縮め、密にすることで耐震性を高めていた。
 ただ78年時点では改正前の建物が多く、被害が繰り返された。安田さんは「より地震に強い設計法の研究が既に進んでおり、宮城県沖地震はその重要性を裏付けた」と振り返る。
 教訓を踏まえ、国は81年6月、新耐震基準を導入した。ことしで40年を迎えた新耐震は阪神大震災や東日本大震災、熊本地震などで有効性が示された。
 建物の耐震診断にも長年携わる安田さんは「81年以前、特に71年以前に建てられた木造住宅はとても危険だ。ぜひ耐震診断を受けてほしい」と呼び掛ける。

[宮城県沖地震] 1978年6月12日午後5時14分ごろ、宮城県沖の深さ40キロを震源に発生。マグニチュードは7.4。当時の基準で震度5(現在の5強、5弱に相当)を大船渡、仙台、石巻、新庄、福島の各市で記録した。死者は28人(宮城県内27人、福島県内1人)で、うち18人はブロック塀や石塀、門柱の下敷きになったことによる犠牲だった。負傷者は宮城県内を中心に1万人を超えた。地震調査委員会によると、平均約38年の間隔で繰り返し発生し、30年以内の発生確率は60〜70%。