1945年の神戸空襲で被災した華僑の被害実態を把握するため、当時の中華民国在日本大使館が実施した調査で用いられた記入表や、空襲に遭った人たちの名簿が見つかった。専門家によると、同種の資料が見つかるのは初めてとみられ、大使館が華僑の戦災調査を試みたことが分かる貴重な資料という。神戸華僑歴史博物館(神戸市中央区海岸通3)で公開されている。(阪口真平)

 資料を見つけたのは、同市中央区下山手通3、宝飾店経営呉富美さん(76)。45年6月5日当時、同市中央区にあった「江戸ビル」へ避難した華僑73世帯213人分の名前が記載された「華僑罹災者集成名簿」▽氏名や年齢、被災状況のほか、日本語や中国語の能力程度を記載する「罹災僑民調査表」▽被災した家庭への配給の分量などを記した「華僑罹災者米穀配給申請書」の3点。

 呉さんによると、資料は75年に亡くなった父、振東さん宅(同市須磨区天神町4)の本棚に保管してあった。振東さんは被災者の救済などに当たった「神戸華僑防空救済本部」の本部長を務め、華僑のために食料を集めるなどの活動をしていたという。呉さんも5歳の時に被災し「雨のように焼夷弾が降ってきて、目の前で自宅の入っていたビルが焼けた」と振り返る。

 神戸空襲で華僑の被害を正確に調査した資料がなく、同博物館の蔡勝昌館長からの依頼に応えて寄贈を決めた。呉さんは「当時を知る人が次々と亡くなっていく。記録を残しておきたかった」と話す。

 同博物館研究室長の安井三吉・神戸大名誉教授(中国近現代史)は「調査表で集めたデータが実際に使われることはなかったと思われるが、日本のかいらい政権である南京政府の大使館が自国民の被害を独自に調査した証拠。金銭面や物資面で救済しようとしていたのだろう」としている。資料は、同館が31日まで開催する特別展で公開している。

 【神戸空襲】1945年の太平洋戦争末期、神戸とその周辺で、米軍による無差別攻撃が繰り返された。2月4日を皮切りに、3月17日、5月11日、6月5日の大空襲で、神戸は焦土と化した。犠牲者は8千人超と伝わるが、正確な数は分かっていない。