有馬温泉(神戸市北区)と言えば−。がつんと刺激のある「ありまサイダー」。そして、お土産の定番「炭酸せんべい」がメジャーどころだ。「炭酸泉が湧き出ているため」との理由は周知の事実だが、1500年近くに及ぶ歴史の中で、炭酸泉がクローズアップされたのは、明治時代になってから。それまで地元の人々に「毒水」として恐れられていたという。有馬温泉徹底研究。9、10限目は「炭酸物語」((上)、(下)2回)と題して、有馬と炭酸についてひもといてみたい。(喜田美咲)

 「この写真、拡大してよく見ると1杯1銭とあるんです」

 神戸電鉄有馬温泉駅前の土産物屋「吉高屋」の5代目吉田佳展さん(61)が、明治10年代の炭酸泉源公園の写真を手に説明を続ける。

 「写真中央にある井戸から炭酸水が湧き出ていて、着物姿の大人や子どもたちがくみに来ています。当時1杯1銭だったということでしょうか」。現在も同じ場所に泉源が残る。飲用の蛇口をひねって飲んでみる。「シュワー」と口の中に刺激が広がった。

 有馬の歴史調査を続ける吉田さんの店舗事務所は関連資料でいっぱい。調査内容をブログなどでも発信しているという。

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 「毒水」が一転、「観光資源」となった経緯などについて尋ねた。

 「泉源から発生する炭酸ガスで虫や鳥が大量に死んだため、地元の人は『毒水』と呼んでいた。ロープウエーの有馬温泉駅近くに『虫地獄』『鳥地獄』の石碑があるのはその名残」

 −いつから温泉や飲用などに使うように?

 「1875(明治8)年に旅館『中の坊』経営者で、当時湯山町(現・北区有馬町)町長だった梶木源次郎が、内務省(同)試薬場に分析を依頼し、その有益性が明らかになった」

 −「サイダー」発祥の地ともいわれる。

 「1901年、炭酸泉源公園の近くに有馬鉱泉が設立され、『有馬炭酸水』『有馬炭酸てっぽう水』と名付けられたガス入りミネラルウオーターの販売が始まった。瓶入りで、炭酸によってふたがポンッと飛ぶ様子がてっぽうのようだったことから、大砲のデザインのラベルが付いた。7年後の08年。炭酸水に甘味料や香料を加えた『有馬サイダー』が生まれた」

 −サイダーはフランス語でシードル。「リンゴ酒」のことだが…。

 「透明で甘いところが共通していたので、この炭酸飲料をサイダーと名付けたのでは?」

 −有馬での炭酸飲料の生産は短かったと聞く。

 「有馬鉱泉は24年に金泉飲料、25年に日本麦酒鉱泉に買収された。26年に工場を川西市へ移し、有馬での生産は中止された」

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 有馬鉱泉時代の強炭酸サイダーが復刻したのは、阪神・淡路大震災から6年後の2001年。「神戸から全国に元気を発信しよう」と、地元の商店主ら8人で立ち上げた「有馬八助商店」が、瓶入りサイダーを発売した。吉田さんもメンバーの一人で、ラベルのデザインを担当。「大砲の絵もレトロな文字も発売当時に近づけるよう再現した」と力を込める。

 先代の知恵と工夫で生まれた有馬サイダー。湯上がりのひとときの癒やしと甘くてさわやかな味わいが今に伝わる。