岡部恭英氏(写真=岡部恭英氏提供)

 スイス在住。サッカー世界最高峰UEFAチャンピオンズリーグに関わる初のアジア人。UEFA(欧州サッカー協会)マーケティング代理店「TEAMマーケティング」のテレビ放映権/スポンサーシップ営業 アジア・パシフィック地域統括責任者。慶應義塾体育会ソッカー部出身。 ケンブリッジ大学院MBA。海外在住歴約24年(スイス、イギリス、アメリカ、シンガポール、ベトナム)。夢は、「日本でワールドカップを再開催して、日本代表が優勝!」。

ーーUEFAチャンピオンズリーグで働く初のアジア人である岡部さんの現在のお仕事内容を教えてください。

僕の所属しているTEAMマーケティングはUEFAの専属マーケティングエージェンシーになります。専属マーケティングエージェンシーがどういう組織かというと、UEFAというのは大陸連盟。FIFAという世界協会があり、その下に各大陸の連盟があります。アジアであればAFC、ヨーロッパであればUEFAとか色々あるのですが、連盟とか協会は直接的にビジネスしないってことが多いんですね。連盟や協会の業務はどちらかというと管理とか政治的なところが多くて、それゆえにビジネスってところは我々のような専属のマーケティングエージェンシーがやったりすることが多いです。特にUEFAの場合は、チャンピオンズリーグを創設するときから、TEAMマーケティングも一緒になって創りあげてきたという歴史があります。

スポーツビジネスの売上の大きい部分は「放映権」と「スポンサーシップ」ですが、僕はTEAMマーケティングで「放映権」と「スポンサーシップ」のセールスをやっていて、それのアジア・パシフィック地域の代表をやっています。

「放映権」は具体的にどういうことかっていうと、チャンピオンズリーグという試合をインターネットなり、テレビなりに映す権利を販売しているということですね。どういう会社に販売するかというと、テレビ放送局、もしくは日本で言えばDAZNといったインターネットの会社。あとは、携帯電話事業者などです。

「スポンサーシップ」は「放映権」とは少し違って、ありとあらゆる会社が対象になります。チャンピオンズリーグというのは世界で最も高額なスポンサーシップの一つなので、それに手が出る予算を持ってる会社となると、世界でも限られていますよね。だからみんなが知ってるような会社に必然的になります。

岡部恭英氏(写真=岡部恭英氏提供)

ーーグローバルで活躍されている岡部さんですが、中学、高校、大学時代はどんな学生だったのでしょうか。

元々のサッカーとの繋がりみたいなところから振り返ると、中学時代は野球部で、全然面白くなくて、高校行ったら帰宅部になって遊びまくってやろうと思っていたんですよね。

そんな時に、サッカーの全国高校選手権を偶然テレビで見ていたんですが、国見高校が怒涛のトータルフットボールで初優勝した瞬間を見て、素人の僕が見てもとてつもなく面白かった。「サッカー部に入ろう。そして国見高校を倒そう」って本気で考えて、いろいろ調べて、サッカーも勉強もそこそこの市立千葉高校に進学したけど、高校に入学したら遊んじゃった上に、サッカーでも全然勝てなくて(笑)。

大学は尊敬する先輩が進学した慶應義塾に入学したんですが、とにかく真面目にサッカーをやった。でも、高校時代センターフォワードだった僕が、守りに転向して、ベストの時で背番号13で終わりました。サイドバックは好きじゃなくて、レギュラーになるためだけにやっていたのに、全く試合にも出られなくて、そのまま卒業することになってしまった。やりたくない守りをやったのにも関わらず、結局一回も試合には出られなかった。この時に、生まれて初めて挫折というものを経験しました。

その経験から人生は、好きなことをやるのが一番だなと痛烈に思って、「好きなことをやる」というのが僕の人生観になりましたね。

そして、大学3年生の時に、初めてアメリカに行って、衝撃を受けた。もともと漠然と「アメリカに住みたい、普通のサラリーマンになりたくない」って思ってたんですが、どうしてもアメリカで勝負をしたいと目標がさだまったんです。

そのあと留学を目指したんですが、勉強もそれほどできなかったから、就職もしない、弁護士にもならない、会計士にもならない、大学院進学もしない、プロ選手にもならないという、伝統ある慶應ソッカー部の卒業生の中で歴史上おそらくはじめて、プー太郎になったわけですね(笑)。

ーーサッカービジネスに足を踏み入れるきっかけは何だったのでしょうか。

そんな僕が初めて就職した先はベトナム。アメリカに直接行くのは英語力的にも難しいと当時判断して、まずはアジアで経験を積もうと思って、そこで初めてビジネスを学びました。その後、一年の時を経て、ベトナムからシンガポールの会社へ転職しました。

シンガポールの会社に入社してから、「アメリカに行きたい」と言い続けて4年。やっとアメリカに転勤となって、夢のアメリカへ仕事の舞台を移すことになりました。

でも実際にアメリカに行ってみると、コスモポリタン都市国家シンガポールをベースに世界中を仕事やプライベートで回った私は、もはや学生時代の盲目的なアメリカラブの学生ではなく国際人になっていたので、「アメリカはアメリカしすぎ」で「シンガポールなどの方がもっとオープンでグローバルじゃないか」と思ってしまったわけです(笑)。

そんなことを思ってモヤモヤしている時に、2002年の日韓共同開催のワールドカップがあった。アジアとアメリカ時代の友達と一緒に日本にワールドカップ観に行ったのですが、もう本当に最高でした。英語の話せない日本人と私が海外から連れて行った外国人の友人たちが、ボディラングエッジと片言英語でなんとかコミュニケーションをとり、国際交流が促進されている。そして経済的なインパクトも大きい。何よりも、たかだかサッカーのW杯がきただけで、バブル崩壊以降、元気のなかった日本が、一瞬で活気づいたのには感動しました。「日本にもう一度ワールドカップをもってきて、日本代表が初優勝するのをみたい!」と、完全にスイッチが入りました。その時の想いが今のサッカービジネスのキャリアを作っていますね。

ーー次回、世界のスポーツビジネス最前線で活躍する岡部氏に、世界のスポーツビジネス最前線で働くことについて掘り下げていく。

(取材=編集部 写真=岡部恭英氏提供)