大韓帝国消滅後は王公族に

 日韓併合後に大韓帝国が消滅したことにより、皇帝を退位した純宗(スンジョン)には、「王族」という地位が与えられた。また、その異母弟など2家には「公家」となり、これを合わせて「王公族」と呼ぶ。

 王公族は皇族に準じる存在として、貴族院にも議席を有して華族よりも上位の身分とされる。

 純宗は日本に移り住み、2007年に閉鎖されたグランドプリンスホテル赤坂の敷地には、かつて李王家の邸宅が建っていた(2016年からは赤坂プリンス クラシックハウスとして営業)。

 王族の歳費は、年間150万円(現代の貨幣価値にしておよそ60億円)と天皇家に次ぐ多さ。

 公家も80〜100万円の歳費が支給され、他の皇族が年間10万円程度だったことを考えると、金銭面でもかなり優遇されている。

 純宗には実子がなく、李王家は、異母弟で大韓帝国皇太子だった李垠(イ・ウン)が相続することになっていた。

 李垠は1920年に梨本宮家の方子女王と結婚し、2人の男子が生まれている。

終戦後、李王家は最大の受難に見舞われる

 終戦後、14家あった宮家のうち11家が皇籍を離れて一般人となった。また、華族制度は廃止され、王公家もその地位を失っている。

 サンフランシスコ講和条約で日本の国境が確定すると、そこから切り離された朝鮮半島は「外国」に。李王家の人々は日本国籍も失ってしまう。

 しかし、大韓民国大統領となった李承晩(イ・スンマン)は王族の帰国を許さず、韓国籍も与えなかった。

 一説によれば、朝鮮王家の庶流を名乗っていた李承晩は、嫡流である王公族に強いコンプレックスを抱いていたという。

 当時の韓国人には、李王家の信奉者がまだ多く、王制の復活を警戒してもいたようだ。

 入国を拒まれた李王家の人々は、無国籍のまま外国人登録をして日本に住み続けるしかない。

 彼らには、日韓併合で大韓帝国が消滅した時よりもむしろ、この頃が最大の試練だった。

 終戦後は、歳費が支給されず収入は激減。李垠が陸軍将校の地位にあったこともあり、公職追放により、まともな仕事に就くこともできない。

 赤坂の李王家邸などの所有する不動産の多くを売却したが、それでも借金は多く生活をかなり切り詰めていたという。

李王家最後の当主は日本で亡くなっていた

 1961年の軍事クーデターで朴正煕(パク・チョンヒ)が政権を奪取すると、李王家の人々にもやっと韓国籍を与えられて帰国が許可される。

 李垠は妻・方子とともに韓国人となり、1963年には韓国に移住。

 しかし、その体はすでにかなり衰弱しており、帰国後は、入院生活を送りながら1970年に死去している。

 また、李垠の2人の息子のうち、長男の李晋(イ・ジン)は幼くして亡くなっており、第2子の李玖(イ・グ)が李王家を継ぐことになった。

 李玖は、マサチューセッツ工科大学で学び、留学先で米国人女性と結婚。その後、父とともに帰国して韓国に住み実業家となるが、事業に失敗して1979年には日本に移住。米国人妻とも離婚して、日本人女性と再婚している。

 しかし、日本での事業もまた失敗。詐欺事件に関与してしまうなど不運が続く。

 1996年には再び韓国に戻り、李王朝の末裔たちが設立した社団法人の全州李氏大同宗約院の総裁に就任して晩年を過ごすことになる。

 2005年7月16日に知人の招待で日本を訪れ、かつて暮らした李王家邸の跡地に建った赤坂プリンスホテルに宿泊した。

 が、この時に心臓麻痺を起こして急死してしまう。彼には子がなく、これによって李王家の血は途絶えた。


青山 誠(あおやま まこと)
日本や近隣アジアの近代・現代史が得意分野。著書に『浪花千栄子』(角川文庫)、『太平洋戦争の収支決算報告』(彩図社)、『江戸三〇〇藩城下町をゆく』(双葉社新書)、『日韓併合の収支決算報告~〝投資と回収〟から見た「植民地・朝鮮」~』(彩図社)、近著『明治維新の収支決算報告』(彩図社、2022年)。「さんたつ by 散歩の達人」で連載中。