澄み切った青い空、夏の日差しが広島の街を照り付けた。平和記念公園で6日に開かれた平和記念式典に、合志市の平生[ひらばえ]一喜さん(62)が熊本県の遺族代表として参列した。広島で被爆し、2月に92歳で亡くなった父・勉さんが生前、繰り返し語っていた「核は絶対にだめだ」。その言葉を胸に刻みながら。

 勉さんは、爆心地から500メートルほど離れた部隊で通信の仕事をしていて被爆した。当時20歳。たまたま建物の陰にいたため、命は助かったが、一緒にいた4人は全員が亡くなった。

 一人だけ生き残ったことへの後ろめたさをずっと引きずり、勉さんは「今生きているのは罪滅ぼしなんだ」と自らを責め続けた。当時のことは多くを語らず、思い出すことも嫌がった。

 長い“沈黙”の時を経て、家族と一緒に広島を訪ねたのは2010年。何度誘っても、直前になって「やっぱり行けない」と思いとどまった。

 そんな葛藤を乗り越え、やっとの思いで迎えた当日。車いすの勉さんは、原爆死没者慰霊碑の前で号泣した。「その姿に家族は誰も近づけず、ただ見守るしかありませんでした」。父親の悔しさが一喜さんには痛いほど分かった。

 72年目の式典には、次男の一喜さんをはじめ、長女ヒロ子さん(70)、次女トシ子さん(68)と、一喜さんの妻美鈴さん(60)の4人で参列した。父親が号泣したその場所で花を手向け、手を合わせた。

 ヒロ子さんには幼いころ、こんな思い出がある。会社員として働きながら、歯ぐきからの出血やおう吐、ケロイドなど原爆の後遺症に苦しんだ勉さん。焼けただれたその体に、すりおろしたジャガイモを塗ってあげたときのこと。少し楽になったような顔が忘れられないという。

 亡くなる直前、「やっと戦友に顔向けできる」と、病床で何度も拝んでいたという。「被爆者の苦しみを、二度と繰り返してはならない」。平和への静かな祈りに包まれた会場で、4人は反戦と核廃絶への思いをかみしめた。(酒森希)