日間山薬師院ひるまやま やくしいん法輪寺ほうりんじ)は、倉敷市羽島にある真言宗の寺院です。

天平勝宝てんぴょうしょうほう年間754年頃)、聖武天皇を父とする孝謙(こうけん)天皇の御代に建立されたと伝えられるほどの歴史があります。

また平安時代末期、寿永じゅえい3年1184年)12月7日には、源氏と平家が戦った藤戸合戦において、源氏が本陣を置いた場所としても有名です。

桜の名所としても知られている法輪寺。

法輪寺の桜景色を中心に、住職から紹介していただいた寺歴などについて、紹介します。

法輪寺は、観光地ではないうえ、御朱印も用意されていません。そのため、寺への参拝などについては、マナー違反などがないよう、静かな参拝をお願いします。

法輪寺とは

法輪寺は、倉敷市羽島地域にあり、倉敷美観地区の東南にある向山の東に鎮座。

桜の名所としても知られているため、桜の開花時季には、満開の桜を観ようと家族連れなどでにぎわいます。

法輪寺石碑

法輪寺の山号は「日間山ひるまやま)」、院号は、「薬師院やくしいん)」、宗派は真言宗御室派しんごんしゅうおむろは)であり、現在は「真言宗御室派・準別格本山日間山法輪寺」とされています。

古くは備中三薬師の一つ

法輪寺の日間(ひるま)薬師のほかにも、朝間(あさま)薬師、夕間(ゆうま)薬師があったそうです。

残念ながら、現在の朝間薬師や夕間薬師について、詳しくわかりませんでしたが、このような云われが伝わっていることもおもしろいですね。

薬師名場所
朝間(あさま)薬師倉敷市真備町箭田
日間(ひるま)薬師日間山法輪寺
夕間(ゆうま)薬師浅口郡遥照山上 連厳寺

法輪寺の見どころ

筆者が訪問した4月初旬の法輪寺では、至る所で桜が咲いており、仁王門をくぐった先の桜も見事です。

法輪寺満開の桜

また別日には、住職の案内により、普段入れない居住区にあるクロガネモチ(倉敷市内の巨樹)も近くで見せていただきました。

本堂

法輪寺の本尊は、薬師如来であり、海中より出現したと伝承。

霊験あらたかであり、参詣者が絶えず、陰暦3月4日と7月15日の法会には、近隣はもちろん、遠く京阪や四国地方からも参詣する人が、万人を超えたと伝えられています。

本尊薬師如来は、いわゆる秘仏であり、33年毎に御開扉がおこなわれています。

法輪寺本堂

寺伝では、山全体に五院十二坊を有し、備中南部の山上伽藍の有力寺院として栄えたと伝えられています。

五院とは、以下を指します。

  • 成就院、文殊院、医王院、浄光院、薬師院

十二坊とは、以下を指します。

  • 重子坊、宝積坊、玉泉坊、安楽坊、松本坊、新坊、中之坊、西之坊、別当坊、南之坊、大覚坊、新蔵坊

また、本堂から見る桜も見どころ。

満開の桜を目の当たりにできます。

法輪寺本堂から望む桜

仁王門

法輪寺の入口にある仁王門。

法輪寺仁王門

仁王門をくぐると桜のトンネルが迎えてくれます。満開の桜を楽しむため、多くの家族連れの姿も見えますね。

法輪寺 仁王門と桜

仁王門をくぐった後で、振り返ってみてください。筆者おすすめの景色の一つです。

法輪寺山門

仁王門の見どころを。

仁王門の左右に迫力のある仁王像が立っており、加えて大きなわらじに目がいきます。

なぜ、このような大きなわらじが飾られているのか。気になりますね。

仁王門 仁王像と大わらじ

鎮守八幡宮

住職の話では、法輪寺はこちらの鎮守八幡宮の別当(べっとう)として祭祀祭礼を司ってきたとのこと。

法輪寺 鎮守八幡宮

階段をあがると拝殿があり、その奥に本殿があります。

法輪寺 鎮守八幡宮 本殿

鐘楼堂

本堂に向って右手にある鐘楼堂からみえる景色もおすすめ。

法輪寺 鐘楼堂

快晴だったこともあるのか、鐘楼堂の暗がりと奥に広がる桜景色と町並みに、気持ちのよい開放感があります。

法輪寺 鐘楼堂より望む

六地蔵と不濡(ぬれず)の地蔵

本堂に向って左手には六地蔵があります。

六地蔵と呼ばれていますが、大小合わせて9体並んでいるのが気になりますね。

一番大きい中央の地蔵が不濡の地蔵

「顔不濡の地蔵」とも呼ばれ、延命地蔵として拝まれています。

永禄10年(1567年)丁卯(ひのとう)建立の銘有。

顔立ちが円形ではなく四角形に近いのが特徴的ですね。

また六地蔵には、天正4年(1576年)10月建立との銘があります。

1567年から1576年頃は、戦国大名としても有名な織田信長(おだ のぶなが)が活躍していた時代で歴史を感じます。

法輪寺六地蔵

倉敷市内の巨樹(クロガネモチ)

普段入れない居住区には、倉敷市の巨樹として登録されているクロガネモチが大切に守られています。

倉敷市のホームページをみると次のように紹介。

何百年もの間、私たちの暮らしの中で生き続け、地域のシンボルとして、人々の心の支えとなっている巨樹を平成3年から調査しています。

倉敷市:くらしきの巨樹・老樹

今回は、特別に入らせていただき、近くで見られました。

青々と育っておりとくに違和感もありませんが、樹高が約8mまではないかな、と感じます。

法輪寺クロガネモチ

クロガネモチと塀の間に入り間近で見ることができました。

太い幹の内部はほぼなく、樹皮だけで生きている印象を受け驚きです。

住職の話では、「約8mあったクロガネモチが傷みにより、数年前に倒木。その後、樹木の治療・保全をしたため、現在の姿を守れています」とのこと。

歴史あり生き物でもある巨樹を守ることの大切さ・難しさを感じます。

法輪寺クロガネモチの保全

源氏本陣跡碑

源氏本陣跡碑は、法輪寺本堂に面する手水(てみず)舎の脇にひっそりと建てられています。

源平藤戸合戦の際、源氏の総大将であった三河守源範頼みかわのかみ みなもとののりよりの本陣が法輪寺に置かれました。

そのため、藤戸史跡保存会により、昭和59年(1984年)に源平藤戸合戦800年記念として建立されています。

法輪寺 源氏本陣跡碑

法輪寺の歴史

法輪寺は、天平勝宝(てんぴょうしょうほう)年間(754年頃)に開かれた歴史あるお寺。法輪寺のおもな歴史について紹介します。

時期出来事
天平勝宝年間(754年頃)小野春道卿が孝謙天皇の勅で建立。
一山、五院十二坊を有し、備中南部の有力寺院として栄える
享禄3年(1530年)12月観音堂より出火、全焼。
元禄15年(1702年)3月再度火災。
地頭 戸川日向守安広公が龍瑚和尚(護持院隆光の弟子)を呼び再興。
宝永元年(1704年)
※宝永3年(1706年)説あり
再興による完成
明治16年(1883年)浄光院を合併し現在に至る。
※明治5年に学制が公布され、浄光院は小学校として使用されていた。

おわりに

法輪寺 仁王門

天平勝宝(てんぴょうしょうほう)年間(754年頃)から続く歴史があり、桜の名所である法輪寺を紹介しました。

法輪寺は、羽島地域の向山にあるため、歩いて上がるよりは、車での参拝がおすすめです。

ぜひ、満開の桜が咲く時季に、仁王門をくぐり桜のトンネルや敷地内の桜などを静かに楽しんでみてください。

著者:眞鍋忠義