ホンダは2020年4月1日付けで大きな組織変更をおこなうと発表しました。これまで本田技術研究所という別会社が持っていた四輪商品開発機能などを、ホンダ本体(ホンダ技研工業)に統合するというものです。組織変更の背景にはどのような事情があったのでしょうか。また、そもそもなぜこれまで研究部門と営業部門が別会社として存在していたのでしょうか。

「ホンダらしさ」復活へ 四輪開発を本社統合

 ホンダが2020年4月1日付けで大きな組織変更をおこなうと発表しました。一般的に「ホンダ」と呼ばれる自動車会社ながら、正式名称は『本田技研工業』です。そんなホンダですが、興味深いことに現在四輪車部門は開発機能を持っていません(二輪開発は本社に開発部門を持つ)。

 営業や事務、管理部門に限った組織となり、社内では「青山」(本社の場所)と呼ばれてます。そのホンダが4月から大幅に事業体制を変更するといいます。体制変更には、どのような背景があるのでしょうか。

 現在のホンダの開発部門は『本田技術研究所』で、生産部門も『ホンダエンジニアリング』という別会社です。

 この体制が変わり、4月1日以降は、本田技研工業の四輪事業本部の配下に、これまで本田技術研究所が持っていた四輪商品開発機能(デザインなど一部機能を除く)や、ホンダエンジニアリングが持っていた四輪生産技術開発機能などが統合されるかたちとなります。

 そもそも、これまで開発部門や生産部門が別会社の体制をとっていた理由としては、ホンダの経営状況が安定しなかった1960年に「研究費は業績に影響されちゃいけない」ということで分社化されたということになってます。当時のホンダの経営状況を考えたら大いにありうることです。

 もう少し深く考えると「本田宗一郎さんに開発を存分にやってもらいたい。ただ、会社の経営も大切なので予算ワクを作りたい」ということなんだと思います。

 以後、分社化されたとはいいながら、よい関係でした。何よりホンダの社長になるのは研究所の社長と生産のTOP(鈴鹿工場です)を経験した技術系、という暗黙のオキテが存在していたのです。

 しかし最近は人事の交流も薄くなり、青山と研究所の関係がギクシャクし始めていたようです。

 たとえば研究所からすれば「絶対日本では売れない」と思える車種であっても、開発するクルマの発注部門である青山から「こんな車種を作って欲しい」と依頼されたら、売れないと解っていても開発しなければならない。さぞかし研究所も悔しかったと思います。

 そして青山の営業部門に対し、意見すら具申できない状況だったようです。だからこそ「シビック」や「ジェイド」を日本で生産するという愚挙をおこなったり、「CR-V」や「クラリティ」、「インサイト」のような超割高な車種を出して大失敗してきました。

 研究所の社長経験が無い八郷さんが本田技研工業の社長に就任してから、開発部門やOBの皆さんの不満は根強かったと聞きます。

過去に似た組織体制をとっていたトヨタ 合併は成功した?

 思い起こしてみれば、トヨタも1982年まで開発/生産部門の『トヨタ自工』と販売部門の『トヨタ自販』が別組織でした。

 最後は縄張り争いや責任の押しつけも派手におこなわれており、合併からしばらくは出身部門で小競り合いが多発。ただ、合併は結果的に大成功だったと評価されてます。やはり同じ会社で責任逃れができる体制はよくないと思います。

 今後は「売れないだろう!」と予想出来るクルマをセンスのない営業部門が企画しても、開発部門は同じ会社のなかになるため討議になります。結果、明らかな失敗作は大幅に減る可能性が大です。

 現在開発中の車種も、商品計画から見直されるかもしれません。よい意味でホンダらしさが戻ったら嬉しいです。

 参考までに書いておくと、開発部門を青山に組み込む措置は二輪が先行していました。結果的によくなったという判断なんだと思います。

 ただ、二輪部門も業績は伸び悩んでおり、国内市場に投入してる新型バイクは、驚くほど高い価格設定になってしまいました。諸手を挙げて成功するといってよいかは微妙です。