月に2万台も売れるようなクルマがある一方で、トータルで数百台しか作られなかったクルマも存在します。そうしたモデルは希少価値から高額な価格で取り引きされるため、市場に出てくることは滅多になく、コレクターが手放さないことから、もはや幻のクルマといえます。そこで、極端に数が少なくもはや幻となった国産車を、3車種ピックアップして紹介します。

極端に生産台数が少なかった幻の国産車を振り返る

 2020年の実績では国内の自動車市場でもっとも販売台数が多かったのはホンダ「N-BOX」で、19万5984台を販売しました。

 また、販売台数において歴代トップなのが3代目プリウスで、2010年に年間31万5669台を販売。この記録は現在も破られていません。

 このように爆発的に大ヒットするクルマがある一方で、トータルで数百台、限定モデルならば数十台や数台しか売れなかった、もしくは売らなかったクルマも存在。

 さらに、スーパーカーやハイパーカー、超高級車の世界では1台だけしか作られなかったモデルもあります。

 そうした希少なクルマはコレクターが手放さないことから市場で出てくることは滅多になく、出てきても非常に高額な価格で取引されて次のコレクターが入手し、公道で見ることはまずありえないことから、もはや幻のクルマといえるでしょう。

 そこで、極端に数が少ない国産車を、3車種ピックアップして紹介します。

●トヨタ「2000GT」の2.3リッターモデル

 国産車が一気に進化したのは1960年代に入ってからで、高速時代を見据えたトヨタは、1964年にヤマハとの共同開発により世界で通用する高性能なスポーツカーの開発に着手。

 そして、1965年の東京モーターショーでプロトタイプを発表し、1967年5月に発売されたのがトヨタ「2000GT」です。

 外観のデザインは伝統的な英国製スポーツカーのフォルムを取り入れた「ロングノーズ・ショートデッキ」で、曲面を多用した流麗なファストバックとなっています。

 エンジンは「クラウン」に搭載されていたものをベースに、ヤマハの手によりDOHC化された2リッター直列6気筒を搭載。キャブレターを3連装し、最高出力150馬力を誇りました。

 サスペンションはレーシングカー並の4輪ダブルウイッシュボーンを採用し、4輪ディスクブレーキ、軽量なマグネシウム合金製ホイールを装着するなど、国産量産車では初めて搭載するものばかりです。

 公表されている性能は最高速度220km/h、0-400m加速15.9秒、0-100km/h加速8.6秒と、当初の目標どおり世界トップクラスの動力性能を達成しました。

 その後、フロントマスクのデザイン変更などマイナーチェンジがおこなわれ、1970年10月までの約3年で生産を終了。生産台数はわずか337台でした。

 こうして、稀代の希少車となった2000GTですがさらに希少なモデルがあったといいます。それが北米向けに試作された2000GTで生産台数はわずか9台。

 337台のなかには輸出用も含まれていますがこの9台はそれとは別で、エンジンは2.3リッター(正確には2253cc)直列6気筒SOHCを搭載した左ハンドル仕様、型式は「MF12L」が与えられました。

 この特別な2000GTは結局市販されることなくお蔵入りしてしまいましたが、日本とアメリカに1台ずつトヨタが2台を所蔵しています。

 そして、さらにもう1台はどういう経緯で入手したのか不明ですが、コレクターが所蔵していた車両があり、2019年にオークションに出品されると8800万円という高額な価格で落札されました。

 なお、昭和の時代では一般に流通するはずがなかったモデルが世に出ることが稀にあり、たとえば日産初代「フェアレディZ」のレースベース車である「フェアレディZ 432R」も、公道を走らないレース専用を条件に販売されたはずでしたが、ナンバーを取得している車両が10台ほどあります。

●日産2代目「スカイラインGT-R」のレッドカラー

 前述のとおり1960年代に国産車の性能は急激に向上しました。その理由のひとつがモータースポーツで、1962年に鈴鹿サーキットが開業したことから、各メーカーとも市販車をベースにしたレーシングカーを開発しました。

 なかでも日産は1969年に、レースで圧倒的なパフォーマンスを発揮して勝つことを目的に、3代目「スカイライン」(通称ハコスカ)をベースとした初代「スカイラインGT-R」を発売。

 当初は4ドアセダンのみで、量産車世界初の2リッター直列6気筒4バルブDOHCエンジンを搭載し、最高出力は160馬力を発揮しました。

 1970年には2ドアハードトップをベースにしたボディにスイッチし、レースでも連戦連勝を記録して伝説的なマシンへとなります。

 そして、1973年には4代目スカイライン(通称ケンメリ)をベースにした2代目スカイラインGT-Rが登場。

 スタンダードモデルとは異なる意匠のフロントフェイスには「GT-R」のエンブレムが装着され、リアスポイラーと4輪にリベット留めのオーバーフェンダーを装備するなど、迫力あるフォルムはまさにレーシングカーそのものです。

 エンジンのスペックは初代から変わっていませんが4輪ディスクブレーキが採用されるなど、レースベース車としてのポテンシャルが高められています。

 しかし、第一次オイルショックや排出ガス規制の強化という背景から、日産は1973年にレースでのワークス活動休止を発表し、2代目スカイラインGT-Rはレースに出場することなく発売からわずか3か月ほどで生産を終了。

 生産台数は197台がもっとも有力ですが、日産は公式には「約200台」と表記するなど諸説あるようです。

 この2代目スカイラインGT-Rにはホワイト、シルバー、レッドの3色のカラーリングが設定されていましたが、もっとも少ないのがレッドで、生産台数はわずか7台といわれています。

 この7台のうち1台は神奈川県座間市にある「日産ヘリテージコレクション」が所蔵していますが、個人所有の1台が2019年のオークションで出品され、流札となりましたが予想落札価格は7500万円から1億円でした。

 現在、希少なスポーツカーの相場がさらに上がっている状況のため、もし再び出品されれば1億円以上もありえるでしょう。

●ダイハツ「フェローバギィ」

 前出のトヨタ2000GT、スカイラインGT-Rとはだいぶ趣が異なるモデルですが、負けず劣らず激レアなのが1970年に発売されたダイハツ「フェローバギィ」です。

 もともとフェローバギィは軽ピックアップトラックの「フェロートラック」をベースにつくられたコンセプトカーで、1968年の第5回全日本自動車ショウ(東京モーターショーの前身)に出展されました。

 外観はアメリカで流行していたフォルクスワーゲン「タイプ1(ビートル)」をベースにした「デューンバギー」を彷彿とさせ、来場者から好評を博したことからダイハツは市販化を決定。

 安全性に関わる面の改良を加えたうえで、100台限定モデルとしてフェローバギィを発売しました。

 フェローバギィはフェロートラックのシャシに、ドアすらも無いオープンのバスタブ型強化プラスチック(FRP)製ボディを架装した構造で、乗車定員2名、最大積載量150kgの軽トラックにカテゴライズされました。

 横転時に乗員を保護するロールバーや、グリルガードが装備されており、見た目は本格的なバギーそのものです。

 エンジンは最高出力26馬力の360cc水冷2サイクル2気筒をフロントに搭載。駆動方式はリアタイヤを駆動するFRとなっています。

 わずか440kgという軽量なボディによって悪路走破性が高そうですが、実際には10インチタイヤで最低地上高が低いことから本格的なオフロード車ではなく、あくまでも砂浜を走る程度のレジャー用途だったようです。

 限定100台のうち現存数は不明ですが、クラシックカーのイベントなどでも滅多にお目にかかれませんから、かなり少ないと予想されます。

 なお、FRP製のボディは錆びることはありませんが、紫外線や雨などの影響で劣化して割れたり表面が剥離してしまいますから、修復は可能でも多くは廃棄されてしまったのでしょう。

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 古いクルマほど当然ながら現存数も少なくなってしまいますが、意外なことに第二次世界大戦前の日産車(ダットサン)は現存数が比較的多いといわれています。

 その理由としては、車体がコンパクトだったことから納屋などに置いておけたことや、その小さい車体によって旧日本軍に接収されるケースが少なかったことが挙げられます。

 前出の日産ヘリテージコレクションには1930年代に生産されたダットサンが数多く展示されているので、個人所有の個体も含めるとかなりの数が現存していると思われます。