ランボルギーニ「アヴェンタドール」のファイナルモデル「LP780-4 Ultimae」が発表されたが、純粋にV12をパワーソースとするクルマはこれが最後となる。そこで、ランボルギーニが初めてV12を搭載したモデルを紹介しよう。

ランボルギーニの創始者フェルッチオは、実は完璧主義者だった!?

 1963年のトリノ・ショーで、「350GTV」とともに自動車メーカーとしての鮮烈なデビューを飾ったランボルギーニ。ブースに飾られたフランコ・スカリオーネによる流麗なボディ、そしてフロントにV型12気筒エンジンが搭載されているといわれた350GTVは、このショーで大きな反響を呼んだ(実際にはサイズの問題でエンジンルームに搭載できなかったV型12気筒エンジンを、フェルッチオはもちろん誰にも見せることはなかった)。

 しかし、350GTVのフィニッシュに不満を持っていたフェルッチオは、会期途中でその出展を取り止めると、サンタアガタ・ボロネーゼの本社へと350GTVを持ち帰り、改良作業を指示したのだった。

●フェルッチオが本当に作りたかったクルマとは

 改良の範囲は多岐にわたった。まずボディデザインでは、ホイールベースの延長と、よりフラットなルーフラインの採用で、実用性の高いものに見せなければならなかった。

 フェルッチオが創業時から考えていたのは、フェラーリに匹敵する高性能GTであったので、そのコンセプトを全面に押し出したボディデザインがどうしても必要不可欠だったのである。

 一方のV型12気筒エンジンは、フェラーリを離脱したジョット・ビッザリーニの設計であったが、こちらもレーシングエンジンの如く、低速域で扱うには非常に難しいエンジンだった。

 新たに組織されたチームはボディ側がベルトーネ、エンジン側は若くしてランボルギーニに入社していたジャン・パオロ・ダラーラとパオロ・スタンツァーニを中心とするものだった。

 そして1964年に完成したのが、事実上ランボルギーニのファーストモデルとなった「350GT」である。

 まず排気量を3.5リッターのまま、低中速トルクの拡大を実現したV型12気筒DOHCエンジンが誕生。そしてベルトーネ製のボディに搭載し、新たに350GTとネーミングされて1966年のジュネーブ・ショーで初公開される。

 ランボルギーニ、さらには350GTの名声は、すぐに世界のVIPへと届くことになるのだ。

ランボルギーニの起源ともいえるクルマの評価額とは?

 350GTの生産台数には諸説あり、135台とも143台ともいわれている。世界的に人気があった割に意外にその生産台数が少ないのは、フェルッチオが発売後ほどなくして「400GT 2+2」へとモデルチェンジする決断を下したためである。

 車名が物語るとおり400GT 2+2は、350GTのエンジンをベースに排気量を4リッターに拡大し、最高出力を320psにアップしたエンジンを搭載。さらに350GTでは2シーター、もしくはリアに1シートを備えた3シーターであったのを完全な2+2キャビンに変更した。

 エクステリアでは、ヘッドライトのデザインなどを見直したことなどが大きな違いだ。また、ボディパネルもアルミニウムからスチールへと変更され、量産体制も整えられている。

●1966 ランボルギーニ「400GT 2+2」

 350GTと400GT 2+2の間には、両方の特徴を併せ持つモデルも数台存在している。それらは「400GTインテリム」と称され、オーククション市場でもとくに貴重な存在として有名だ。

 今回VAGUEで注目したRMサザビーズがアメリア・アイランド・オークションに出品した個体は、オードソックスな1966年式の400GT2+2であった。

 トータルで247台が生産された400GT 2+2のなかで、70番目にサンタアガタ・ボロネーゼの本社工場からデリバリーされた個体である。オドメーターには現在でもわずかに4万2771マイル(約6万8434km)の数字が刻まれているのみだ。

 出品者が、この400GT 2+2をオークションに出品しようと考えたのは2016年のことだったという。そこからのレストア作業は、トータルで10万ドル(邦貨換算約1080万円)に迫るもので、そのなかには分解後に損傷していると判断されたエンジンブロックや、新品への交換の必要性が認められたウォーターポンプ、燃料ポンプ、ディストリビューター、ウェーバー製のキャブレターなども含まれていたという。

 注目の落札価格は、52万2000ドル(邦貨換算約5800万円)。ここ数年、「ミウラ」や「カウンタック」以外のV12を搭載したクラッシック・ランボルギーニがオークション・シーンで人気を高めているというが、どうやらそれは間違いではないようだ。