太平洋戦争の終戦直前に約2500人の工員や学徒動員の生徒らが命を落とした豊川海軍工廠(愛知県豊川市)の空襲から75年となる7日、生存者らでつくる「八七会」が会員の高齢化のため、活動を終了した。当時中学生で見習い工員として勤務した森田和夫副会長(89)は「生存者がいる限り会の平和を思う心は消えない」と力を込めた。

 豊川市によると1945年8月7日午前10時13分、機銃や弾丸を生産していた豊川海軍工廠に向け、米軍が空襲を開始。約2500人が犠牲になった。

 会員は大半が90歳前後。昨年には大石辰己会長が亡くなったことなどから、森田さんは活動終了を決断した。