1953(昭和28)年3月14日、吉田内閣不信任案が可決され、衆院が解散された。前月の衆院予算委で吉田茂首相が西村栄一氏(右派社会党)の質問に対し「バカヤロー」と暴言を吐いたことが発端で、首相懲罰動議も可決されていた。世に言う「バカヤロー解散」で、4月の総選挙で吉田自由党は過半数を割った。