なぜ私だけが家事をしなくてはならないの? 「ていねいな暮らし」ができない私ってダメ人間??
外から入ってくる情報や「こうあるべき」という思い込みに縛られて、不安が募ったり焦りにかられるなんてことありませんか。
それは、不安や焦りの正体を正しく把握できていないから。その正体を解明し、上手に付き合うことで、不安は生きる力に変わります。
哲学の賢人たちに、生き方のヒントを学べる『不安を力に変える ゆるっと哲学』の著者、ただっちが、レタスクラブニュースの読者のために描き下ろした4つのストーリー。
今回は『不安を力に変える ゆるっと哲学』(1〜6話)に続く、第9回目をお届けします(全10回)。


















フロイトの「ナルシシズム」論を元に考える嫁姑問題のメカニズム

家族生活の中で、しばしば問題として取り上げられることの一つに「嫁姑問題」があります。「嫁姑問題」と言えば、よくあるケースは以下のものでしょう。

嫁は自分なりに毎日、一生懸命、家事や育児に取り組んでいます。しかし、夫の母親がいちいち口出しやダメ出しをしてくる。これがとても苦痛で、夫に窮状を訴えかけているにもかかわらず、夫は「自分の母親のことを責めるな」と叱責。嫁にとっては、味方がおらず、苦しい状況に…。

このような状況は確かに極端ですが、しばしば、よく聞く話でもあります。しかし、なぜこのような「嫁姑問題」が発生するのでしょうか?

今回は、この「嫁姑問題」のメカニズムについて、精神分析の祖ジークムント・フロイトの「ナルシシズム」論を元に考えていきたいと思います。ただし、これはあくまで、一つの考え方であり、絶対的なものではないことを予めご理解ください。

フロイトは『ナルシシズム入門』という論文の中で、「ナルシシズム」という概念について説明しています。

「ナルシシズム」とは、「自己愛」とも呼ばれ、自分以外のものに注ぐべき心のエネルギー(対象リビドー)が自分に集中してしまっているような状態を指します。心のエネルギーが自分に向かっているからこそ、自分を過剰に愛するようになると言います。

フロイトの説明は複雑なので深く立ち入りませんが、人間の幼少期にはもともとナルシシズムが現れる段階(第一次ナルシシズム)があると指摘します。つまり、誰でも自分を愛するような段階があるのです。
多くの場合、この第一次ナルシシズムは姿を消すのですが、この幼少期の時のナルシシズムのあり方がのちに、愛情を注ぐ対象を決める際に影響を与える傾向にあるというのです。
フロイトは、誰を愛するか、そのパターンを以下のようにまとめています。

引用----
人は次の道によって愛するようになる。
(1)ナルシシズム型によって
 (a)いまある自分を(自分自身)
 (b)かつての自分を
 (c)なりたい自分を
 (d)自己の一部であった人物を
(2)依託型によって
 (a)世話をしてくれた女性を
 (b)保護してくれた男性を
これには、こうした人物に由来するさまざまな代理的人物が含まれる。

『エロス論集』「ナルシシズム入門」
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フロイトは、一概には言えないと言いつつも性別によって、ある程度の傾向が見られることを指摘しています。男性は、自分の母親に似たような女性((2)依託型−(a)世話してくれた女性)を愛するようになる傾向があります。その一方で、女性は親になると自分の子供((1)ナルシシズム型−(d)自己の一部であった人物)に特に愛情を注ぐ傾向にあると言います。特に子供に関する愛情に関しては、以下のように述べています。

引用----
愛情にみちた両親が子供に対して示す態度を考察してみると、それは両親がすでに放棄した以前のナルシシズムを再生し、蘇生させたものであることを確認せざるをえない。…(中略)…だから冷静に判断するといかなる根拠もないのに、自分の子供の欠陥を隠したり、忘れたりしようとする衝迫は、これに関連して生じるのである。

『エロス論集』「ナルシシズム入門」
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つまり、自分の子供はほとんど自分と同じような存在であるがゆえに愛すべき存在なのです。そして、愛情を注ぎすぎると子供の欠点を隠そうと必死になってしまうのです。言い換えると、自分を守るために自分の子供のことを必死に守るのです。
確かに、男性が母親に似たような女性を好きになるという話や親が子供を過剰に守ろうとして周りを攻撃するという話はしばしば耳にするでしょう。そのメカニズムをフロイトは考察しているのです。

さて、冒頭の嫁姑(+夫)問題を例にすると、色々なことが仮説として考えられます。
例えば、姑は自分の息子(ならびに自分のこと)が可愛いがゆえに、息子の欠点を隠そうとして嫁を攻撃するようになっている…。息子は息子で、自分の母親への愛情から、嫁を守ろうとしない…。または、夫の愛する対象が母親や母親に似た人物であるがゆえに、実は、姑と嫁は似ているところがある…など。

特に、嫁と姑が実は似ている点がある場合は、はじめは関係がうまくいっていても、後々、攻撃性が出やすくなる可能性があります。フロイトは別のところで、以下のような指摘をしています。

引用----
精神分析の証明するところによると、ある期間持続して二人の人間のあいだにむすばれる親密な感情関係はーー夫婦関係、友情、親子関係ーーほとんどすべて拒絶し敵対する感情のしこりをふくんでいる。…(中略)…二つの家族が結婚によってむすばれるたびに、両者の各々が他方を見下げて、自分のほうを立派で上品であると考える。

『フロイト著作集6』「集団心理学と自我の分析」
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つまり、似た者同士の結びつきは、何かしらの爆弾を含んでいることが多いのです。これは、嫁姑間(家族間)でも例外ではありません。ただし、フロイトはここで、母の息子に対する愛情はナルシシズムに基づくものであり、例外的なものだともいっています。

引用----
身近な人にたいするあらわな反感や反撥のうちに、自己にたいする愛情つまり自己愛の現われをみとめることはできよう。それは、自己主張をしようと努め、あたかも自分の個人的な傾向から外れる物事は、すぐにも自分の批判をまねき、自己の改革を求めてくるかのように感じてふるまうのである。

『フロイト著作集6』「集団心理学と自我の分析」
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嫁に攻撃的な姑は、ナルシシズム的である可能性があるのです。だからこそ、少しでも自分の意にそぐわないことがあると、自分や自分の息子を侮辱していると過剰に受け取ってしまい怒るのです。このような傾向は、嫁と姑の類似点が多いほど、相違点が強調されるため、強まるものでもあります(小さな差異のナルシシズム)。

ここまで、嫁姑問題のメカニズムについて見てきました。では、どうすれば、嫁姑問題が解決するのでしょうか?残念ながらフロイトは明確な答えを出していません。ですが、フロイトは哲学者アルトゥル・ショーペンハウアーの「ヤマアラシの比喩」を引用しています。

この比喩は、「寒さを耐えようとしてヤマアラシ同士がくっつこうとするのですが、お互いの針が刺さってくっつけない。そこで試行錯誤しながら適切な距離を見つけ出す」、というもので、人間関係の距離感についての教訓を含んでいます。

この比喩からわかることは、嫁姑問題は、とにかく、距離ーー心理的にも物理的にもーーを置くことが大事だということです。引越しでも、ストレス発散でも、まともに相手にしないなどの対処法でもいいかもしれません。

問題のメカニズムを理解する。その上で、問題からは適切に距離を置いて、自分を守る。これが一番重要なことなのでしょう。

著=ただっち