オランダの画家フィンセント・ファン・ゴッホの人生と、東日本大震災の被災地に咲く1輪のひまわりから着想を得たという竹内洋介監督・脚本による初の長編映画『種をまく人』。病院から退院した高梨光雄役を演じる岸建太朗、弟家族とともに幸せにときを過ごそうとするなか、竹中涼乃演じる姪の知恵が、ダウン症の妹の命を奪ってしまう。その罪と罰の行方を描いていく。

ヨーロッパ・アメリカの映画祭で高い評価を受け、ギリシャの『第57回テッサロニキ国際映画祭』では日本人としては3人目の最優秀監督賞を受賞、そして当時11歳だった竹中涼乃が史上最年少にて最優秀主演女優賞を受賞している。

日本でも2月末から公開され東京・名古屋で順次公開され話題となっていたものの、新型コロナウイルスの影響で公開中止に。関西では12月5日から大阪の「シネ・ヌーヴォ」を皮切りに、「京都みなみ会館」、「神戸元町映画館」でようやく公開されることとなった。この作品に込めた想いを、竹内洋介監督に大阪で話を訊いた(一部ネタバレあり)。

取材・文/ミルクマン斉藤

「ゴッホの良い部分を抽出して・・・聖者に近いような役」

──僕は以前、2018年の『大阪アジアン映画祭』で拝見していまして、その時も1シーン1シーンに力みなぎる傑作と感嘆したんですが、もともと監督は油絵やってられたんですって?

芸術系の学校に行ったわけじゃないんですけど、ただ小さい頃から絵が好きで。集中して油絵を描いてみたいと思ってフランスにとりあえず渡って、1年間コツコツとアトリエに通って。ヌードモデルを毎日ひたすら描くだけみたいな感じでした。

──というのは光雄のイメージがいかにもゴッホなんですよね。ダイレクトにこの映画のタイトルが示すように。

そうですよね、ゴッホを明確にイメージしましたから。

──その光雄役の岸建太朗さんですが、キャメラも兼任されてるという。というか、太田信吾監督の『解放区』や藤元明緒監督の『僕の帰る場所』などインディペンデント・シーンの撮影監督として活躍されてますよね。

最近ではCMなんかもやってますね。この映画ではもともと撮影をお願いしてたんです。主役はオーディションで決めようと思ってたんですけど、岸さんとの関係性で昔からお互い作品を見せ合ったりとか、作品を手伝いあったりする関係性を築いていまして。

今回の役は結構難しい役だし、ゴッホの風貌も結構重要だからというなか、イメージ的に岸さんが一番なのかなと。ただ、かなりガタイが良かったから、岸さんにやってもらう場合30キロは痩せてほしいとお願いしました。

──え!30キロも痩せさせたんですか?

まあ、お願いして「分かった」と。それで半年くらいかけて、でも30はさすがに無理だったみたいで(笑)。22〜3キロくらい痩せて。

──いやいや十分ですよ。見た目は。

食事も制限して、衣裳も半年くらい前から着て慣れてもらって。歩き方が少し堂々としているので補正して。結構歩き方って人の性格表したりするじゃないですか。自信ありげな歩き方だとちょっと困るので、半年くらい歩き方を補正して。それがまぁ一番大変でしたね。

あと、その岸さんのキャラクターとクセを生かして、キャラクターの性格をちょっと変えたんですね。セリフもなるべく排除して。

──光雄もゴッホも「自分はこの世のなかに居ていいんだろうか」って悩みながら生きてる感じですもんね。

異質な感じですよね。それがある意味テーマでもありますから。でも岸さんはもともと役者から始めたんですよ。だけど、もともと撮影が好きだから、彼が監督した長編作品『未来の記録』ではキャメラも兼任してたんです。それを初めて見たときにかなりの衝撃を受けて、僕の作品でも岸さんしかいないな、って。

──撮影の腕が確かなのは、さっき言った映画を観ると分かるけど、俳優として存在感ありますよね。

岸さんは、これまでヤクザとか強面な役が多かったんです。でも、もともと声も性格もやさしいとこがあるから、そっちを生かした方が良い、ってずっと思っていました。この役はホントに芯の底からやさしい役ですからね。ゴッホの良い部分を抽出して・・・聖者に近いような。

「少女の感情だけは絶対コントロールしないようにしていました」

──監督、覚えてられるかどうか分からないけど、大阪アジアン映画祭でお会いしたときに、ひとつ疑問を呈しましたよね。妹が亡くなったのは観客は明らかに光雄のせいじゃないと分かるわけですが、姪っ子・知恵がついた「嘘」っていうのは、僕は光雄が「僕のせいにしな」と吹き込んだんだ、と解釈したんだけど、真相はどうなんだろうと。監督はそのとき、「それは違うんですけど」と。

その話はよく覚えてます。あれ、ミルクマンさん以外に言われたことはなかったんですよ。そのあとも1回も誰にも言われなかった。

──いや、今回改めて観ても、やっぱりそういう風に見えてしまうんですよね、僕は。

シナリオの段階では完全に、知恵は自発的に言ったっていうふうにしてました。その流れがあるから、のちに知恵が光雄に抱かれたときに言う「ごめんなさい」が繋がる。

ただここは難しい部分で、僕は知恵を演じてくれた竹中涼乃さんに、遊園地へ行くところまでしかシナリオを全部渡してなかったんですよ。

──あ〜、そうなんですか!

彼女には状況説明だけで、「昨日はこういうことがあって、今日はこういうことがある」みたいな。「ここはこういう感情だから」とかは涼乃さんには絶対説明しないで、彼女がシナリオ通りにいくように役者さんたちで導いていく、ってことをやってたんですね。

そうなると、やっぱりシナリオ通りにいかない部分が出てくる(笑)。どうしても僕的にはこのセリフを言って欲しいんだけど、無理矢理言わせたくないというのもあって、「おじちゃんが落とした、ってセリフがあるけど、気持ち的に言いたくなかったら言わなくていいよ」って演出にしていました。

──でも、あそこで知恵があのセリフを言わなかったら話が進まないじゃないですか?

そうなんですよ、あそこは重要で。まぁちょっと『言わせた』ってところもあるかも知れないです。おじちゃんが彼女を守るために、救急車のなかでもしかしたら彼女と話をしてそういう事になったのかもしれない、って。

──あ、それはやっぱりちょっとあったんですね。

でもそれはなるべくキャメラ上では見せないようにはしたんですけど。でもバレる人にはバレるかも知れないな、とは思っていました。

──でも、たとえおじちゃんが「僕のせいにしろ」って言ったにしろ言わなかったにしろ、あまり変わりはないんじゃないかと。

そうですね。ただ、その後の「ごめんなさい」がやっぱ違和感くるんじゃないのかなと。

──でも、あの時点ですでに、知恵の証言によって光雄だけじゃなくて、親族すべてに多大な疑念と迷惑がかかっている。もちろん光雄をあそこまで追い詰めちゃったからには「ごめんなさい」って言葉はそれほど不思議じゃないなと思うんですよ。

じゃあよかったです。そこだけ結構心配しながら編集してたので。

──それに仰ってるほど涼乃ちゃんの演技がわざとらしくないもん。嘘言うところが。

確かに彼女の力ですね。彼女は上手いっていうか、当時は天才的な感じにみえました。反応がもう天才的なんですよ。オーディションの時からもう別格で、とくに泣きの演技がとんでもなかった。3人くらいに絞って最後に第一印象の彼女にしたんですけど。でも、泣きだけだと映画にならないじゃないですか。

──子役泣きっていうのがありますよね。上手すぎる臭さ、っていうのがやっぱ出ちゃうから。

彼女の性格的に、近いキャラだったんでしょうかね。彼女は頭良くて、ちょっと説明すれば理解してくれるんですよ。結局大人の役者さんでもそうだけど、理解力って重要だと思うんですよね。

そこをもうこの歳で分かってる感じはありました。ただ感情だけは絶対コントロールしないように彼女の感情に任せてましたね。

「ちょっとした人の優しさとかが、人を救うというのを・・・」

──涼乃ちゃんが演じるのは一人で罪を背負っちゃう、っていう残酷な役でしょう?それを理解してやってるっていうのは大きいですよね。

ただそのシナリオを渡してないから、全然先が分からないわけですよ。ダウン症の妹を抱えるお姉ちゃんなりの苦しみとか、キャラクターの性格とかは事前に説明してたんですけど、この話であれが悪意だったとか故意だったとかはまったく説明せずに、ただ出来事があればそれにちゃんと反応して欲しい、って演出のみでした。

だから、彼女的には作品に入り込んで自分の感性で作ってったんじゃないですかね。大好きだった妹を故意にしろ事故にしろ落としちゃったっていう、あのときの頭のなかの空白感から悲しみがいきなりグッと湧いてくるっていうのは知恵のキャラクターから言ったら素直な反応だと思うんですよ。

ある意味テンパっている子どもの心が、お母さんにあそこまで追い込まれたらどうしたらいいか分からなくなって・・・っていう、そんな状況のなかの選択肢のひとつだったんですよね。

──そういう風にはちゃんと映画からも読み取れますし、著しくキリスト教的な「原罪」といったものが見えてくるんですが、監督にはそうした宗教的な背景はあるんですか?

物語の根本はゴッホだから、そうなるとやっぱプロテスタント的な経験がありますし。必然的に光雄のキャラクターには反映されているので、そういう風に見えてもおかしくはないと思います。

僕自身は特定の宗教を崇拝したりといったことはないんですけど、宗教が云ってることって人が生きていくための真理を分かりやすく説明してる。そういう意味で、正しい事をしようとすると宗教的に観られるんじゃないですかね。

──もちろんそれは別の宗教と並べてみても普遍的なことだと思います。でもこうした話が3.11のグリーフケアへと結びついていくわけじゃないですか。そこにシフトさせていったというのは?

映画のなかではさほど意識していないのですが、背景としてはもちろんそれがあって。ただロケ地が被災地だって別に見せたかったわけでもなく、現実に被災があった今の日本っていうのは自然と出てくると思う。

僕の実際の姪っ子が震災の半年後にダウン症で生まれたのを福島の原発とどっかで繋げちゃった部分があったのかもしれない。

──映画に出演してる一希役は、その姪っ子さんですもんね。

それを最初、シナリオで書いちゃったりしてたんですよ。さすがにそれはまずいなと思って排除しましたけど。映画の根本の部分は「障害と正常とは」ってことがメインですね。

障害の区分けっていうのは正直出来ないじゃないですか。とりわけ精神的なものは話したって分からないし、でもそんな不安を解消するためにすぐ区別したがる今の社会の傾向がありますよね。そんな状況で苦しんで普段生活している人もいるし、そういう状況になった時にどうしたら救われるかと煩悶する人もいる。

ホントに苦しいときどうしたらいいのかな、ってなかなか答えが見つからないけど、この映画のなかでは時間とか、ちょっとした人のやさしさとか、誰でも分かるような簡単なことが人を救ってくれたりするんだよ、っていうのを見せたつもりなんです。

──その象徴が「ひまわり」。

そうですね。

──印象的なラストシーンで咲いてる向日葵って、撮影前から植えてたんですか?

毎年被災地には行ってるんですけど、たまたまあそこの道を見つけて、最後のシーンはもうここしかないって。全員一致でここに向日葵を植えようっていうところから始まって。現地で向日葵を植えてるボランティア団体に相談したら、「あそこは砂地だし絶対無理だから、土を全部変えるしかない」と言われました。

海の近くだったので1回全部流されて、砂浜の砂が溜まってしまってたので、数人のスタッフで撮影の半年近く前から、まず土を耕して、種を相当入れたんですよ。何千とか。映画に出てくるひまわりは全部自分たちで植えました。枯れたやつも先に育てて枯らせて。それでも最後はあれだけしか生えなかったですね。

──でも、ちょうど良いくらいの咲き方ですよね(笑)。

結果的には良かったんです。シナリオの段階ではデ・シーカの『ひまわり』みたいな、視界いちめんに咲き誇るイメージだったんですけど。でもあれも偶然で、前日は結構咲いてたんですよ。その日の夜に大雨が降って、みんなでヤバいってなって。その翌日に晴れて、あの状態。ぜんぶ(花の首が)垂れてたら危なかったですよ。

「あの2人が唯一、心が通じ合っているというのは間違いない」

──ちょうど、あれくらいが非常にベストな状態ですね。光雄のキャラクターに合ってる感じ。しかも画面が美しい。

ラストだけ35mmフィルムなんです。あとはデジタルですので、カラーグレーディングでなるべく合わせて。岸さんも35mm初めてだから緊張してました。

──それは贅沢な。でもその効果は発揮されてますよね。監督は撮影前にコンテは描かれるんですか?

いや、描かないんです。もともとばっちり決めるタイプだったんですけど、その通り撮って編集したら全然面白くなくて。それでやめたんです。それからは演技を見て、ある程度許容を作ってカットを変えるようにしたんです。

──それでも比較的、構造がカッチリしてますよね。

もしかしたら無意識に。いろいろ映画が好きで、そういうオマージュ的なカットもちょこちょこ入ってたりしています。

──例えばどなたの?

『散りゆく花』とか。

──グリフィス(1919年のサイレント映画)ですか。えらい昔な(笑)。

あの映画の切り返し、三者の視点の部分をやってみたいなと。絶対だれにも気づかれないと思いますが(笑)。アンゲロプロスやフリッツ・ラングをちょっと真似してみたりとか。ブレッソンもすごく好きです。

──ああ、なるほど。『少女ムシェット』(1967年・日本公開は1974年)とか(笑)。

そう、『ラルジャン』(1983年)とか。なるべく分からないようにしてたんですけど、海外に行ったときに1人だけ指摘してきた人がいて、ちょっとうれしかったです(笑)。

──あはは。でもたまに技術的にびっくりするようなところもあって。事件が起こる前の、不安じみた空気が募っていくところのスクーターの走りとか。

それはうれしいですね。あれはトラックの荷台にスクーター乗せて撮りました(笑)。

──やっぱり(笑)。でもそういうショットがサスペンスを盛り立てるんですよ。そもそもダレたカット無しにきっちり120分、緊張を持続しながら見せてしまう。そして最後に至って浮かびあがるのは、知恵ちゃんと光雄さんというアウトサイダー同士の連帯なんですよね。

あの2人が唯一、心が通じ合っているというのは間違いないと思うので。それはこの映画のメインの線ですね。彼女は学校でも友だちがいなくて唯一心を許してるのが光雄という存在で。あの事故のあと光雄は、知恵の心の救済のみを思う。。

彼女が今後どうやって生きていけばいいか、それだけしか考えられなくなっている。その2人の感情の線が、最後まで流れていっているのかなというのはありますね。光雄と知恵は、世界を見てる目線が近いのかもしれない。

──それが美しいんですよね、この作品。この後の映画は考えておられますか?

いろいろ考えてますね。例えば、知恵の大きくなったときの話とか考えてます。

──ホントに?それは面白そう。

彼女がこの後、どうなるのかなってホントに思いますよね。普通に恋愛してるのかな、とか。

──でも知恵ちゃんって、決定的な人生のトラウマを抱えて生きていくわけじゃないですか。いくらラストで向日葵咲いてたってそれで癒やされるわけではなく。

あれでは救われてないですもんね。もうちょっとちゃんと彼女を見てあげないと、って思いますよね。

──だって一生、彼女の脳裏にはおじちゃんが居るだろうし。

というか実際に居たんですよ。岸さんは演技して、そのままの衣裳で撮影して。だから、常に光雄が知恵を見守り続けているという感じだったんです。撮るときも光雄の目線で、本当に知恵を見つめ続けていたという(笑)。

──あはは! それはすごく面白い。もし続編やるとすると、やっぱ涼乃ちゃんで? 彼女、美少女ですしね。

いや、彼女はいま役者の仕事をお休み中みたいで。二十歳超えたら自分の意志で決めるんじゃないでしょうか。素晴らしいものを持っているので役者を続けてほしいですね。