「皇帝」という称号には、揺るぎない決意が込められていた

「始皇帝」は、はじめから「始皇帝」であったわけではありません。13歳で秦(しん)の君主に即位した嬴政(えいせい)は、まず「秦王(しんおう)」という称号を持っていました。そして、39歳で念願の中国統一を果たしたときに、改革の一つとして新しい称号をつくることにしました。

これを発案したのは丞相(じょうしょう)(宰相)の李斯(りし)。称号に「君主は絶対者であり、宇宙の主催者である」という法家(ほうか)の考えを反映させようとしたためです。李斯は古典の中から「天皇(てんこう)」「地皇(ちこう)」「泰皇(たいこう)」という3案を出し、もっとも尊いとされる「泰皇」を勧めました。

しかし、嬴政はこれらに納得できず、中国の伝説的な帝王である「三皇」の「皇」と「五帝」の「帝」を合わせた「皇帝」に定めたと言います。

さらに、最初の皇帝ということから、自らを「始皇帝」と名乗ります。また、自称を「朕(ちん)」、自分の出す命令を「詔(しょう)」としました。

後継者には「二世皇帝」「三世皇帝」と名乗らせようとしますが、三代目の子嬰(しえい)の代で秦は滅びます。

しかし、絶対的な支配者を意味する「皇帝」という称号は、その後2000年以上も引き継がれることに。始皇帝の成し遂げた偉業の一つとも言えます。

皇帝:中国古代王朝の殷(いん)・周(しゅう)の君主は「王」と称した。始皇帝にはじまる「皇帝」という称号は、ラストエンペラーと呼ばれた清(しん)の12代目・愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)まで使われた。

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 始皇帝の話』
著者:渡邉義浩  日本文芸社刊

執筆者プロフィール
1962 年東京生まれ。筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科修了。文学博士。現在、早稲田大学理事・文学学術院教授。大隈記念早稲田佐賀学園理事長。三国志学会事務局長。専門は古代中国思想史。主な著書・監修本に『眠れなくなるほど面白い 図解 三国志』(日本文芸社)、『始皇帝 中華統一の思想―「キングダム」で解く中国大陸の謎』(集英社新書)、『教養として学んでおきたい三国志』(マイナビ新書)などがある。