サッカー界がコロナ禍に苦しむ中、今年4月に勃発した欧州スーパーリーグ問題。ビッグクラブの野望は頓挫しつつあるが、UEFAや各国のサッカー協会、抗議の声をあげたサッカーファンは、必ずしも勝利を収めたわけではない。スポーツとマネーの問題にいち早く着目し、『サッカー株式会社』や『億万長者サッカークラブ』などの書籍も手がけてきたジャーナリストの田邊雅之氏が、ESL問題の歴史的文脈と意味、そして知られざる唯一の勝者を改めて総括する。 吹き始めた粛清の嵐

UEFAはESL参戦を表明していたクラブに対して、来シーズン、UEFAが主催する大会で受け取れる予定になっていた収益の5%を徴収するペナルティや、若年層と草の根のサッカー支援のために寄付を行うことなどを義務付けている。

一方、ESLへの参加を撤回していないクラブに対しては1億ユーロの罰金に加えて、主要大会への参加を認めないといった厳罰が下されると報道されている。レアル・マドリー、バルセロナ、ユベントスは頑なな姿勢を崩していないが、アンシャン・レジームを覆そうとする革命が頓挫した以上、今後は粛正や報復の嵐が吹き荒れていくだろう。

そもそも誰が「画」を描き、どのクラブのどの人物から寝返り始めたのかという「仁義なき戦い」の詳細も、いずれ明らかになってくるはずだ。

「ESL組」が受けた致命的なダメージ ESLには当初12のクラブが創設メンバーとして名を連ねた

ESLに関わっていたクラブは、制裁金以外にも大きな代償を払わなければならない。

オーナーの暴走を止められなかった事実は、クラブのガバナンスが存在しなかったことを意味するし、何よりクラブ側は自らのファンから総スカンを食らってしまった。

たとえばリバプールなどは「労働者階級のクラブ」を自認してきたし、それが故に幅広い人々から愛されてきた。だがESLに参戦しようとしたことで信用は失墜。ファンは「リバプールというクラブは死んだ」とするバナーさえ掲げている。

バルセロナの状況はさらにひどい。

バルセロナは長年「クラブ以上の存在(首都のマドリーに対して、カタルーニャ地方の政治・文化・歴史・アイデンティティーを体現する存在)」を自認してきた。

だがESLに関しては、自分たちが唾棄してきたレアル・マドリー側となんら変わらぬ行動を取っている。OBのギャリー・リネカーが翻意を促すツイートをしたのも当然だろう。曰く。

「君たちはもっと分別があるはずだし、(ESLの設立は)あまりにもらしくない。君たちは『クラブ以上の存在』だ。それが今も変わらないことを証明してほしい」

ファンは勝利したのか?

ESLを巡っては各クラブのファンが一致団結して抗議を行ったし、メディアやESLに参加を表明していないクラブ、そして各運営団体や政府までもが歩調を合わせた。おそらくイギリスでこれほどの大連立が結成されたのは、第二次大戦中、挙国一致内閣が成立した時以来だろう。その様子は感動的でさえあった。

結果、日本ではファンの熱意が実を結んだなどとする記事も見かけるようになった。

だがファンは本当に勝利したのだろうか? 

クラブ側に圧力をかけ、ESLへの参戦を阻止したのはむろん勝利と言えるだろう。現にマンチェスター・ユナイテッドやリバプールでは、クラブ側やオーナーが正式に謝罪を表明したし、チェルシーなどではサポーターの代表者が取締役会に参加するという、新たな枠組みが設けられることにもなった。

とは言えクラブ運営の主導権を真に取り返そうとするならば、究極的には自分たちで基金やコンソーシアムを組織し、資金を募り、クラブの株式を買収しなければならない。これを実現させていくのは容易ではない。

ESL構想はビッグクラブと連盟の衝突そのものといえる

「白馬の騎士」が登場するのを待てばいいと考える人たちもいるだろうが、過度の期待を寄せるのはやはり禁物だ。然るべき目的がなければ、大枚を叩いてクラブを買収する理由などないからである。

ESL絡みで批判を浴びたジョン・ヘンリー(リバプールを所有するフェンウェイ・スポーツ・グループの筆頭株主)などは、迷走が続く名門クラブを、前共同オーナーのトム・ヒックスとジョージ・ジレットから救い出した功労者のはずではなかったのか。

さらに述べれば、ESLへの参戦を推進しようとしたようなオーナーたち、スーパーリッチな富裕層と一般大衆の経済的な格差は拡大し続けている。

現在、世界の富の80%以上はわずか1%の富裕層に集中しているとされる。2年前に出版した『億万長者サッカークラブ』の訳者あとがきで強調したように、サッカー界で起きている現象は、現代社会の状況が反映されたに過ぎない。

スモールクラブと各国協会の「それから」

似たようなことは、ESLに最初からお呼びがかからなかったスモールクラブにも当てはまる。彼らも連帯してESLの実現阻止に貢献したが、ビッグクラブは多かれ少なかれ、今後も我が物顔で振る舞い続けるだろう。

現状を変えようとするならば、中小のクラブはピッチ上でもビジネスにおいても、ESLへの参戦を表明したクラブを凌駕しなければならない。しかも相手と同じ方法論に手を染めずにである。残念ながら、そのような日が来るとは考えにくい。

これは各国の協会側も然り。協会側は表向きには各国のサッカー界を取り仕切っているが、ビッグクラブを御する力はない。むしろ虎の尾を踏まないようにしながら、無難な舵取りに終始してきたのが実情だ。

UEFAを拡大路線に走らせた真意

ただし、今回の一件で誰よりも統治能力を問われるようになったのはUEFAだろう。

UEFAに対しては、代表の試合で選手が怪我をしても補償がなされない、あるいは収益金がきちんと還元されていないという批判がなされてきた。近年はCLやEURO(欧州選手権)を拡大させてきたために、ビッグクラブからの風当たりはますます強くなっている。

ではUEFAは、自らが主催する大会をどうして肥大させてきたのか。

日本のメディアでは、単に儲け主義に走ったというような説明がなされるケースが多いが、実情はもっと複雑に入り組んでいる。UEFAが拡大路線を敷いてきた背景には、彼らなりの大義名分がある。

最初に謳われたのは公平性の確保――富の集中を緩和しながら、欧州サッカー界全体を発展させていく効果だ。CLやEUROの参加枠を広げ、多くのクラブや代表チームに門戸を開放。ネーションズリーグという各国代表によるリーグ戦も創設してパイを拡大すれば、従来、恩恵に与れなかったクラブや小国の協会も実入りが増えることになる。

この種の門戸拡大は、欧州サッカー界の民主化にもつながるとされた。UEFAが拡大路線で試みたのは、FIFAがW杯の出場枠を増やしつつ、日本や南アフリカ、ロシアといった国々で大会を開催したプロセスにもよく似ている。

ただしUEFAの拡大路線には、別の目的も託されていた。

より多くのクラブや小国の協会を自らのシンパにすることによって、ビッグクラブに対抗していくことである。その手段として掲げられたのが、門戸開放による「富の再分配」や「民主化の促進」といった錦の御旗だった。

CLの新フォーマットが抱える問題

だがUEFAのアプローチは、いくつかの根本的なジレンマを抱えている。

まず大会が肥大化すればするほど、ビッグクラブは不満を募らせていくことになる。参加チームが増えるにつれて凡戦が増え、日程は間延びし、大会自体の魅力が損なわれていく問題も然り。UEFAは現在、CLを梃子入れするために新たなフォーマットの導入を計画しているが、このプランは典型的な改悪だとする意見が多い。

出場チームの枠を拡大し、リーグ戦を100試合近く増加させる(しかもリーグ戦で開催される10試合は総当たりですらない)。その上で決勝トーナメントに進出できるチームを決めていくなど、ただでさえ不味いコーヒーを、さらに水で薄める行為に等しい。

このようなフォーマットを本当に導入したりすれば、UEFAは自分の首を自分で絞めていくことにもなる。だらだらと続く凡戦につきあうのではなく、どうせなら少数精鋭のチームが繰り広げるレベルの高い試合を観たいと願う人々、つまりは潜在的にESLを支持するようサッカーファンが増えていくのは明らかだ。

有名無実と化したFFP

UEFAは、従来の成長モデルに代わる新たな指針も提示できていない。

従来の欧州サッカー界では、ビッグクラブが経済的成長のドライブとなってきた。現にビッグクラブのオーナーたちはESL設立に際しても、「欧州サッカー界全体のためだ。自分たちが成長を牽引していけば、スモールクラブにも恩恵がもたらされる」という発言を繰り返している。これが俗に言う「トリクルダウンセオリー(富める者がさらに富めば、貧しい者にも利益が滴のように滴り落ちていくとする理論)」である。

対するUEFAは、民主化と拡大路線による発展モデルを提示しつつ、2010-2011シーズンに「フィナンシャル・フェアプレー(FFP)」を導入。クラブ財政を黒字化することを義務付け、クラブ間の格差拡大を防ごうとした。

FFPはたしかに相応の効果を上げていたが、やがてマンチェスター・シティやPSGは、オーナーが抱えるグループ企業とスポンサー契約を結ぶという抜け穴を見つけ出す。シティは実際にペナルティを課された際、スポーツ仲裁裁判所に控訴し、UEFA相手に勝利まで収めた。

結果、UEFAはFFPに関しても新たな枠組みを検討し始めたが、これは現行のFFPよりも強制力が弱くなるだろうと予想されている。簡単に言うならば、経済成長と公平性を両立させていくというポリシーは、ビッグクラブに押し切られる形で明らかにトーンダウンしつつある。

プラティニのスキャンダルが与えた致命傷

この問題を考えるとき、UEFAにとって決定的な痛手となったのは元会長、ミッシェル・プラティニのスキャンダルだった。

プラティニはFFP導入のキーマンであり、CLやEUROの出場枠を拡大しつつ、ネーションズリーグを創設するなど、欧州サッカー界の民主化路線を推進する旗頭と目されていた。ところが彼は、W杯カタール大会の誘致を巡る収賄容疑で表舞台から消え去ってしまう。このダメージの大きさは計り知れないものがある。

ESLとUEFAは目指す成長モデルが異なるが、それぞれ問題もはらんでいる

ビッグクラブ主導型の成長モデルに対して、有効な代替案を提示できないのであれば、UEFA側は「公平」や「公正」といった「価値(モラル)」に訴えるしかない。にもかかわらず、その長たる人間が、まさに空前の不正に手を染めていた格好になるからだ。

自由競争の原理を遵守しながら、いかに公平な発展を実現するか。参加枠の拡大と大会の水準をどうやって両立させるか。そして自分たちが掲げる「公平」や「公平」、「欧州サッカー界全体の発展」というスローガンに、いかに説得性を持たせるか。

ファンやスモールクラブ、各国協会と同様に、UEFAもESLを巡る一件で勝利したわけではない。ビッグクラブの独断に待ったをかけることには成功したが、自らもいくつもの難題を抱えていることを露呈しただけだったのである。

書き手:田邊 雅之
学生時代から『Number』をはじめとして様々な雑誌・書籍でフリーランスライターとして活動を始めた後、2000年から同誌編集部に所属。ライター、翻訳家、編集者として多数の記事を手掛ける。W杯南アフリカ大会の後に再びフリーランスとして独立。スポーツを中心に、執筆・編集活動を行う。

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