以前掲載の「あまりにも不可解。新型コロナ専門家会議『廃止』発表のウラ事情」でもお伝えしたとおり、専門家会議の廃止を巡ってにわかには信じがたいような「ドタバタ劇」を演じた安倍官邸。なぜ総理及びその周辺は、今回のような失態をさらしてしまったのでしょうか。ジャーナリストの高野孟さんが自身のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』でその真相に鋭く迫るとともに、6日に発足した「分科会」のメンバーに対して苦言を呈しています。

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専門家会議に相談もせずにその廃止を一方的に公表――コロナ対策の大失敗を隠したい一心の安倍首相とその側近たち

西村康稔コロナ対策担当大臣が6月24日、政府の「専門家会議」を廃止すると唐突に発表したのは、安倍政権のコロナ対策の大失敗を隠蔽――と言うと少し言い過ぎかもしれないが、そのプロセスを詳細に検証されることを避けたいがために、早くその痕跡を消去してしまおうと思う「逃げの心理」の現れだった。

この政権の最大特徴は、何事に於いてもきちんと説明せずにグズグズダラダラと弁解しているうちに証拠がどこかに行ってしまうというウヤムヤ体質にあるが、今回もまさにそれで、本来であれば、この段階で初動以来の約6カ月を徹底総括して問題点を析出し、来たるべき第2波、第3波に備えるのでなければならないというのに、そこに出来るだけ触れずに前に進むフリをすることで安倍晋三首相、今井尚哉補佐官ら政権中枢の面子だけを救おうという姑息さである。

専門家会議自身が廃止を知らなかった?

実は6月24日の夕方には、専門家会議の尾身茂=副座長らが予定された記者会見を開いていた。そこで尾身氏らは、専門家会議が行う科学的見地からの提言とそれを受けて政府が打ち出す政治的立場からの政策との関係について、一定の整理をしようと試みていた。「専門家会議が政策を決めているかのような印象を与えてしまったが、政策に責任を負うのは政府であり、専門家会議との役割分担を明確にすべきである」との趣旨を尾身氏が語っている最中に、別の場所で会見した西村大臣が専門家会議の廃止を発表したという第一報が入り、尾身氏は「えっ、もう1回言って」と、非常に驚いた様子だったという。

してみると、西村大臣は、当事者である専門家会議それ自身に相談することもなく、また閣議もしくは(それとほぼ同義の)新型コロナウイルス感染症対策本部の議決を得ることもなく、恐らくは安倍首相、今井氏、西村大臣の3人だけの言わば私的会合で専門家会議の廃止を急ぎ公表する方針を決め、当の専門家会議が記者会見を開いている最中に別の場所で会見してそれを発表するという奇妙な行動に出たことになる。

何をこんなに慌てふためいて、後に陳謝しなければならないような行動に出たのか。あくまで推測に過ぎないが、専門家会議がこの夕方の会見で「専門家会議と政府の役割分担の明確化」を主張するらしいと聞いて、専門家たちが政府の政策の遅れに批判がましいことをいうのではないかと疑心暗鬼に陥り、ならば先手を打って同会議の廃止を発表してしまったほうがいいと、いかにも今井氏らしい小賢しいことを考えたのではあるまいか。この様子をトップ特集で取り上げた『週刊新潮』7月9日号は、

「政府は、政府との軋轢を公表するような会見を専門家会議が開くことを、苦々しく思っていて、政府が常に後手に回っていたとの印象を抱かれないように、先回りして専門家会議の廃止を発表したフシがある」

との政治部記者の解説を引用している。

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「大量の検査をしない」という大失敗

そんな小狡い手練手管を弄しても、日本のコロナ対策が大失敗だったという事実を覆い隠すことはできない。安倍首相自身は自らが主導した対策を「日本モデル」とまで自賛したが、そう思っている人は国内でも少なく、世界では皆無である。それについての言説はたくさん湧き出ているが、分かりやすいのは児玉龍彦=東大名誉教授のインタビューである(「日本の対策『失敗』/第2波へ検査拡充せよ」=毎日新聞6月30日付夕刊)。

東アジアの中でコロナ対策に失敗したのは日本だった。医療崩壊を防ぐという名目で政府主導によりPCR検査の数を制限してきた。大量の検査をしないというのは世界に類を見ない暴挙である。感染症を専門としている人間にとって、この発想はあり得ない。感染症対策のイロハは、誰が感染しているかをきちんとつかむことである。

このウイルスは、症状が出てから感染が見つかるというだけでなく無症状や軽症の人も多い。普段の暮らしの中で無自覚なまま感染を広げてしまうから、第1波でウイルスがどう広がり、どう引いていったのかわからない。流行が小康状態にあるうちに、感染の解析を一気に進めることが、第2波に備える重要なカギとなる。

台湾や韓国などの対策は、感染者の全容を明らかにしようとするもので、症状が出ていない人も把握して、社会の安全安心を守るというものだった。日本では無症状者を把握することがなおざりにされた。無症状の人が多い一方で、病院や高齢者施設に入り込むと、非常に致死性の高いウイルスとして牙をむく。新型コロナの持つこの二面性が十分に理解されていないから、政府の専門家会議メンバーの有識者があのような発言をするのである……。

あのような発言とは、「コロナはそこまで〔検査を広げるほど〕のものではない」「大量に検査すると医療が崩壊する」といった内容のものだが、さて果たして専門家たちは本当にそう思っていたのか、それとも政府にそう言わされていたのか、そこはこれから突っ込んだ検証が必要な1つのポイントである。

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専門家たちのストレスの原因

上掲『週刊新潮』が引いている専門家会議メンバーだった武藤香織東大医科研教授によると、「2月中旬ごろ、政府も社会も感染拡大への危機感が薄い中、専門家の間では危機感が高まり、ストレスが溜まっているように見えた」「3月2日、専門家会議の『見解』から『無症状の人が感染させる』という一文が削られた。……専門家側は、時間的な制約や政府を説得する材料の少なさから、削除を受け入れた。しかし3月19日の『提言』には“無症状の方が本人は気づかずに感染を広めてしまう事例が多い”と明記された」という。

つまり、無症状者からの感染可能性という今回のウイルスの最大と言っていい特徴、従って防疫体制を敷くについてカギとなる基本的な事実を巡っても、それをどう公表するかについて専門家たちと政府との間に軋轢があったということである。それを専門家側から見れば、政府の危機感が薄いので自分たちが率先、世の中に向かって発信しなければならないという焦りに繋がったろうし、逆に政府側ではそういう専門家たちの態度を「前のめり」的な越権行為だと捉えることもあったろう。そういう政府の側の専門家会議への不信の積み重ねが、今回の西村大臣の奇行へと繋がっているのだろう。

それにしても、なぜ政府側はそんな基本的な事実を公にしたくなかったのか。そこはそれこそ検証が必要だが、厚生労働省にはこれまでの感染症対策の経験に基づくクラスター追跡の手法へのこだわり、自分らの直系の保健所に検査の権限を集中させておきたいという縦割り意識、などが働いていたのだろうし、官邸には東京五輪を中止させないためにできるだけ感染者数を少なく見せたいという政治的な思惑が働いたのかもしれない。

それでいて、日本が今のところ死者も感染者も相対的に少なくて済んでいるのは、会員制情報誌『選択』7月号「コロナ『日本モデル』は単なる幸運」によれば、アジアで流行したウイルスが欧米のそれと比べて毒性が低かったこと、日本社会がマスクの着用に慣れていたことなど、いくつかの幸運の重なりによるもので、誰にもこれを合理的に説明することはできない。ということは、第2波、第3波の来襲を防ぐには何をすべきなのかの戦略はない、ということである。

その根本的な問題を脇に置いたまま、6日には新たな「分科会」が発足する。旧専門家会議の副座長だった尾身氏が新分科会の会長、同座長だった脇田隆字=国立感染症研究所所長が同副会長という格好で、一旦は「廃止」と宣告した旧専門家会議との連続性を強調した上、連合労組の副事務局長、元キャビンアテンダント、鳥取県知事、読売新聞常務など、そう言っては申し訳ないが何の役にも立ちそうにない人たちを寄せ集めていて、これでますます日本の対策の戦略性は疑問視されることになるだろう。

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