新型コロナウイルスは、感染症法上の2類相当に分類されていて、感染が判明した場合の隔離や、濃厚接触者とされた場合のPCR検査の義務が生じます。ところが先月25日、加藤厚労相がこの分類を季節性インフルエンザと同等の5類に見直す考えがあることを匂わせました。これに対し「日本人の性質にまだ甘えるか」と声をあげるのは、メルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さんです。山崎さんは、新型コロナのステルス性や指定格下げにより起こる「金の問題」を指摘し、安易な見直しに異を唱えています。

格付けのこと

不自然が当たり前になる。恐いことだ。日々更新されて行く数字に慣れ、ただの数字にしか見えなくなってしまう。本当はそうじゃないことは分かっているのに。コロナ感染者数はただの数字なんかじゃない。人間の命の数である。皆、誰かの子であり、誰かの親である場合も多いであろう。決して忘れてはいけないことである。

今、政府ではCOVID19を指定感染症2類相当から5類相当へ格下げすることが検討されているという。終息はおろか、収束の目処すら立っていないのに敵を低見積もりとは随分大きく出たものである。この報に触れた時、本当にこう思った。「我が政府、終に狂せり」と。

しかし蓋を開けてみれば何のことはない。苦し紛れの数字操作に過ぎないことが分かる。要は病院がパンク寸前(あるいはパンク同様)なので入院の勧告・措置の必要がない5類にしてしまえということなのである。そう、患者数のデノミである。批判を覚悟の上で敢えて不穏当な比喩を用いると「刑務所がいっぱいなので窃盗までは罪に問わない」と言うのと理屈の上では同じである。こんなバカな話があるか。

そもそも5類相当と言えば、季節性インフルエンザと同格である。むろんインフルエンザもシーズンごとに多くの死者を出す恐ろしいウイルス性感染症であることは疑うべくもない。ただインフルエンザには(知る限りにおいてだが)無症状感染者はいない。突然の高熱、疼痛、疲労感に襲われ仕事や学校どころではなくなり、2、3週間は通常の生活には戻れない。故に多くの人がそれを警戒し、さまざまな予防策を講じる訳である。

この季節性インフルエンザとCOVID19が同日の論である筈がない。片や極めて潜在性の高いステルス感染症である。このウイルスは相手が弱いと見るや忽ち顕在化し、重症化させ命をも奪い去ってしまう。逆に相手が強ければ感染を拡げるという仕事をさせるだけさせてそのまま消えてしまう。

仮に季節性インフルエンザが無症状だったら、一体誰が仕事や学校を休むだろうか。そもそも病院にすら行かないだろうから、自分が感染しているかどうかさえ終に知らないままであろう。COVID19はまさにこれである。無自覚にして拡大する感染症なのである。

今これに5類相当のお墨付きを与えてしまえば、無自覚無症状感染者に加えて有自覚無症状感染者までもが市中に出回ってしまうことになる。病院では以下のような会話が医師・患者間で行われるかもしれない。
「あなたは残念ながら新型コロナウイルスに感染しています。でも特に入院や隔離生活の必要はありません」

これでは収束どころか感染状況の把握すらままならぬ事態になりかねない。因みに5類感染症の場合、医師の届出義務は7日以内となる。新型コロナに限らず、感染症対策において初動の遅れは致命的である。何より感染症対策の第一戒律たる隔離(quarantine)を無視するつもりなのか。

問題は他にもある。仮に5類相当となったら医療費は全額自己負担となってしまうのである。そうなると経済的な事情で治療や入院を拒む人も出て来るかもしれない。抗ウイルス薬「レムデシビル」は1回分(5日間、6本)で25万円である。最高で2回投与されるから合計50万円。保険適用により3割負担になっても15万円。誰にでも払える額ではない。しかも効く保証のない「Hail Mary」的治療である。酸素飽和度94%以下、重症化するかどうかの瀬戸際に、またあるいはECMO導入後、生きるか死ぬかの緊急時に、金の問題が影を落とすようではこの国の医療はおしまいだ。

ここ最近の政府のコロナ対策を見て思うのは「何か、日本人に甘えてはいないか」ということである。たまたま重症化しにくい日本人、もともと衛生観念が醸成されている日本人、どういう訳か自粛という言葉に厳格な日本人、こういった日本人に甘えっぱなしではないか。さて今度はお人好しの日本人とでも言うつもりか。あるいは調子に乗っておバカとでも呼ぶつもりか。これ以上の甘えは許さない。小手先の数字操作で、誤魔化すな。その場しのぎの施策で、煙に巻くな。

もう我々は向き合うしかないのである。「with Corona」は「without Corona」を実現するための時間稼ぎである。時間稼ぎならつらいのは当たり前だ。焦れるのは当たり前だ。無理が出るのも当たり前だ。誰もが皆ギリギリのところで戦うしかない。それでも負けさえしなければ、倒れさえしなければ、これは間違いなく勝てる戦である。希望は常にあるのである。だから今、今こそが目をそむけずに向き合うべきその時なのである。

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