日米両政府が米軍普天間基地の返還を合意して4月12日で25年となりましたが、移設と返還の見通しは立っていません。何より優先すべき普天間基地の危険性除去がいまだになされないことを嘆くのは、橋本内閣による返還交渉に関わった経緯を持つ軍事アナリストの小川和久さんです。今回のメルマガ『NEWSを疑え!』では、自身が主張した迅速な移設のロードマップが、軍事知識のない日米の官僚によって却下された事実を紹介。官僚任せが現在の迷走を生む一因と明かしています。

普天間返還合意から25年に思う、素人の官僚に丸投げの危険性

1996年4月12日は、沖縄県の米海兵隊普天間飛行場の返還が日米両政府によって合意された日です。早いもので、あっという間に25年がたってしまいました。辺野古の代替施設の建設が泥沼化する一方、原点であるはずの危険性の除去ひとつ実現できていないのですから、日本政府のガバナビリティの欠如を痛感させられています。

紙幅の関係で、ここでは危険性の除去についてだけ簡単に触れておきますが、可及的速やかに普天間を閉鎖状態にすることは軍事常識から可能なのです。本格的な移設先の選定と建設はそれからで構わないのです。

当時、普天間には50機ほどの海兵隊機が常駐しており、うち12機のKC-130空中給油機は山口県岩国基地に移駐することが決まっていました。残りの40機ほどの回転翼機について、海兵隊側は歩兵などとの共同訓練をキャンプ・ハンセンなどで行えるよう、回転翼機を沖縄に常駐させる必要を訴えていました。当然のことです。どこかに回転翼機の部隊か地上部隊を持っていって訓練するなど、軍事組織の規模や運用、訓練の実態をまったく知らない人のたわ言です。

私は返還合意に持ち込むにあたっての当事者の一人でもあり、合意直後の1996年初夏の段階で、キャンプ・ハンセンの北隣のキャンプ・シュワブの一画に突貫工事で仮移駐先を建設する構想を示しました。両方の基地を合わせると普天間飛行場が15個入る広さがあります。

工事は日米共同訓練の形で行い、陸上自衛隊第5施設団の土木用の重機を海上自衛隊の大型輸送艦でキャンプ・シュワブ沖まで運び、LCAC(エルキャック)という大型ホバークラフトでそのままキャンプ・シュワブに上陸させるという計画でした。そして昼夜を分かたず突貫工事を行えば、最短48時間ほどで50機ほどの回転翼機を収容し、発着させられるヘリベースと兵員用のプレハブ住宅を確保できます。

その段階で普天間の回転翼機を仮移駐先に飛来させ、普天間を閉鎖状態にするのです。普天間は本格的な移設先が完成するまでの間、有事に使えるように残しておきますが、閉鎖状態にすることで危険性の除去は終了します。

仮移駐先に必要な1600〜2000メートルほどの滑走路は、これも最短10日ほどで建設できます。これはキャンプ・ハンセンの建物の下に埋まっている旧チム飛行場(1600メートル滑走路)を終戦間際に米海軍が10日間で完成させたことを見ればわかります。舗装などの作業は、まずは危険性の除去が終わってから行えばよいのです。

私がそれを提示したところ、防衛省の官僚も、米国の国務省、国防総省のシビリアンも、「不可能だ」とにべもありませんでした。しかし、軍人には常識なのです。

私の考えが妥当なことは、2016年10月29日から11月4日まで沖縄本島で行われた、第3海兵師団による「ブルー・クロマイト2017」演習で証明されました。ドック型輸送揚陸艦「グリーン・ベイ」などで構成するシーベース(海上基地)から発進したMV-22オスプレイなどの航空部隊は、地上部隊を迅速に輸送できるよう、地上部隊の展開地点近くにヘリベースを突貫工事で造成し、待機したのです。米国のシビリアンもまた、軍事知識を備えていなかったのです。

詳しくは拙著『フテンマ戦記 基地返還が迷走し続ける本当の理由』(文藝春秋)を参照していただければと思いますが、素人である官僚に丸投げすることがいかに危険なことか、日米のトップは肝に銘じて欲しいと思います。来年は、こんな嘆き節を書かないですむようになっていてほしいものです。(小川和久)

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