安倍元首相銃撃事件の衝撃が生々しい中、7月10日に投開票が行われた参議院選。結果は与党の圧勝となりましたが、何が彼らにここまでの勝利をもたらしたのでしょうか。その理由を「自民党の左傾化」と見るのは、立命館大学政策科学部教授で政治学者の上久保誠人さん。上久保さんは今回、安倍政権が社会民主主義的な政策を次々と実現することで、野党の存在感を奪っていったと分析するとともに、それこそが安倍元首相が日本政治に残した最大のレガシーであるとの見解を記しています。

プロフィール:上久保誠人(かみくぼ・まさと)
立命館大学政策科学部教授。1968年愛媛県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、伊藤忠商事勤務を経て、英国ウォーリック大学大学院政治・国際学研究科博士課程修了。Ph.D(政治学・国際学、ウォーリック大学)。主な業績は、『逆説の地政学』(晃洋書房)。

参院選の野党大敗と安倍元首相の死を受けて振り返る「自民党の左傾化」

安倍晋三元首相が、応援演説中に銃撃されて死去した。心から哀悼の意を表したい。自由民主主義の根幹である選挙の期間中の蛮行に最大級の怒りを示したい。

参院選は、自民党、公明党の連立与党が参院全体の過半数を大きく超えて、146議席となった。一方、立憲民主党は、選挙前から7議席減らし、非改選も合わせて39議席にとどまった。日本維新の会は昨年の衆院選に続いて躍進し、改選前の15議席から21議席に増やした。比例では立憲民主党を上回った。

そして、自公に日本維新の会、国民民主党を加えた憲法改正に前向きな「改憲勢力」が、非改選も合わせて、改正の発議に必要な衆議院全体の3分の2を上回る177議席を占めた。

今回の結果については、「安倍元首相の弔い合戦」となり、自民党への同情票が集まったなど、さまざまな分析がある。私は、安倍政権から始まった「自民党の左傾化」が完成したことが、立憲民主党、共産党、社民党、れいわ新選組の「左派野党」の存在意義を奪ってしまったことが大きかった。

「自民党の左傾化」を振り返ってみよう。それは、安倍元首相が打ち出した経済政策「アベノミクス」から始まっている。アベノミクスとは、異次元の金融緩和・公共事業で株高・円安に導き輸出産業に一息つかせるという政策で、旧態依然たる自民党の伝統的なバラマキ政策そのものだった。

ところが、自民党の伝統的なバラマキを異次元の規模で実行したのに、かつてのような効果がなかった。安倍首相や経済閣僚が、アベノミクスで積みあがる利益を内部留保にしないで「賃上げ」するように何度も要請したが、成果を挙げられなかった。「企業は利益を得ても、それが個人に降りてこなかった」と岸田首相が批判している通りだ。

かつて、高度経済成長期には池田勇人政権が「国民所得倍増計画(月給二倍論)」を打ち出したが、計画以上の成果を挙げた。つまり、「賃上げ」を2倍以上の規模で実現したということだ。

高度経済成長期と現在の違いは、経済の「グローバル化」だ。90年代前半に東西冷戦が終結すると、中国、東南アジア、東欧諸国などが新たに国際経済の市場に参入し、日本の強力な競争相手となった。激しい国際競争に晒された日本企業は、いつ競争に敗れて経営危機に陥るかわからない状況下で、利益が出ても社員に賃上げという形で還元できず、さらなる競争に備えて内部留保をため込むようになっているのだ。

この状況に対して、安倍政権は2016年、国民の厳しい批判を受けながら、国会で強行採決して「安保法制」通した後に「アベノミクスの新3本の矢」「一億総活躍社会」を打ち出して、政策の修正を図った。

安倍首相は、高齢者のみならず現役世代も含む「全方位社会保障」を打ち出し、「子育て対策」などで「女性の社会進出」を促進し、非正規雇用の問題を解決する「同一労働同一賃金」を目指す「働き方改革」を行った。中小企業などの労働力不足を解決するために、初めて外国人単純労働者を受け入れる「改正入管法」も成立させた。

特に、2017年の衆院選では、前原誠司民進党代表(当時)の「All for All」と呼ばれた政策を奪う形で、消費増税分で「教育無償化」を実現することを公約して勝利したことは、特筆すべきだ。

要するに、安倍政権は、主義主張にこだわらず国民の要望を幅広く取り入れて実現する「包括政党」(キャッチ・オール・パーティ)という自民党の強みを最大限に発揮した。本来は左派野党が取り組むべき「社会民主主義的」な政策を次々と実現することで、野党の存在感を奪っていったのだ。

そして、岸田政権は、安倍政権以上に「左傾化」してきた。首相は、「アベノミクス」を新自由主義的な政策とみなしている。アベノミクスが大企業と富裕層を優遇して潤した一方で、中小企業や個人には利益が行き渡らず、格差を拡大させたと認識し、より経済成長の果実を個人レベルまで「分配」する政策を実行することが、首相が提唱する「新しい資本主義」なのだと説明している。

前述の通り、アベノミクスは新自由主義ではなく、伝統的な自民党のバラマキ政策を異次元の規模でやっただけだ。岸田首相は「誤解」しているのだが、その誤解によって、すでに安倍政権下で「左傾化」した自民党を、ますます左旋回させている。岸田政権発足後、中小企業や個人レベルへの「分配」を重視し、補正予算など「予備費」を乱発して財政出動を拡大してきたのである。

それに対して、左派野党は政策の違いをみせることができなくなった。左派野党が、弱者救済のためにさらなる財政出動を求めても、岸田政権は待っていましたとばかり「野党の皆さんの要望でもあるので」と、さらにバラマキを拡大してしまう。左派野党は、自民党の「補完勢力」にすぎない存在となってしまった。参院選での左派野党の惨敗は必然だったといえる。

要するに、参院選での自民党の勝利は、国内政策における「自民党の左傾化」を、岸田首相がさらに推進したことで、左派野党が存在意義を失い、壊滅的な打撃を負ってしまったからである。

本来、保守派であるはずの安倍元首相にとって、国内政策の「左傾化」は、不本意だったかもしれない。だが、国内の社会問題にリアリスティックに対応した結果である。私は、自民党の左傾化と左派野党の壊滅こそ、安倍元首相が日本政治に残した最大の「レガシー」であると考える。

なぜなら、時代は完全に変わったと認識すべきだからである。これからは、「保守(右派)vs.リベラル(左派)」の対立という従来の「常識」は通用しなくなるのだ。

参院選後、岸田政権はまず、物価高への対応に追われることになる。日銀の量的緩和政策は少なくとも年末まで継続される。補正予算、予備費を使った補助金などの財政出動は続く。重要なことは、自民党がさらに左傾化し、左派野党を飲み込むことになることだ。今後は、立憲民主党の「社民党化」「泡沫政党化」という悲惨な事態が起こる。しかし、左派を支持する人たちは、この事態を心配することはない。これから「弱者救済」は、左傾化した自民党がすべて担うことになっていくからだ。

新しい時代の対立軸は「弱者救済の与党」vs.「新しい時代を創る改革派」となっていくだろう。弱者救済の与党とは、政策を左右に大きく拡大させた自民党を中心とする勢力だ。自民党は、「キャッチ・オール・パーティ」の持ち味を存分に発揮して、平等・格差の是正を軸に、弱者・高齢者・マイノリティー・女性の権利向上、社会民主主義的な雇用政策・社会保障・福祉の拡充、教育無償化、外国人労働者の拡大、斜陽産業の利益を守る公共事業などに取り組む。

現在、連立パートナーである公明党のみならず、立憲民主党、社民党、れいわ新選組、そして共産党までもが、その補完勢力となり、「弱者救済の与党」となっていく。

一方、野党となるのは、新しい社会を創りたい一派だ。デジタル化、IT化、スーパーグローバリゼーションを進めたいグループがある。SNSで個人として活動する人たち、起業家、スタートアップ企業、IT企業などである。

彼らは、市場での競争に勝ち抜いて富を得る。基本的に政治への関心は薄い。だから野党だ。しかし、政治の動きが社会の進化から遅れすぎると彼らの邪魔になるので批判することになる。

現在、新しい野党となる勢力は十分に育っていない。維新の会がその候補かもしれないが、残念ながら彼らの改革姿勢は「1990年代」のような古さだ。しかし、新しい時代に合った対立軸の萌芽は生まれてきていると思う。これが、安倍元首相が我々に残した最後のレガシーである、これからは我々自身が、新しい時代を自ら切り開く気概を持って行動することが、重要ではないだろうか。

image by: 岸田文雄 − Home | Facebook

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