10月25日の参院本会議で行われた、野田佳彦氏による安倍晋三元首相に対する追悼演説。各方面から絶賛の声が上がっていますが、「安倍政治」は美談だけで語られることが許されない負の側面も大きかったようです。今回、毎日新聞で政治部副部長などを務めた経験を持つジャーナリストの尾中 香尚里さんは、野田氏の追悼演説を「名演説」と認めつつ、そこで語られなかった安倍氏の国会における、政府のトップとして恥ずべき振る舞い等を紹介。その上で、安倍政治を検証する作業は国葬や追悼演説で区切りがつくようなものではない、との厳しい見解を記しています。

プロフィール:尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト。1965年、福岡県生まれ。1988年毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長、川崎支局長、オピニオングループ編集委員などを経て、2019年9月に退社。新著「安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ」(集英社新書)、共著に「枝野幸男の真価」(毎日新聞出版)。

野田元首相による安倍氏「追悼演説」で思い出す、あの2012年の党首討論と「その後」

その政治的所業をおよそ積極的に評価できない政治家を悼む言葉に、これほど心を揺さぶられるとは。25日の衆院本会議。立憲民主党の野田佳彦元首相による、安倍晋三元首相への追悼演説である。

10年前、衆院選で安倍氏率いる自民党に惨敗して政権の座を明け渡した、民主党政権最後の首相。「仇のような政敵」の安倍氏に対し、追悼という目的に沿って故人への敬意とねぎらいの思いを示す一方で、抑制的ながら安倍政治の「負の遺産」についても演説にしっかりと刻み、さらにそれを踏まえて民主主義のあるべき姿をうたい上げる――。

名演説だった。政治的立場の違いを超え、多くの国民の心を打ったことも頷ける。

しかし、だからこそ「その上で、申し上げたい」ことがある。野田氏が追悼演説に立つ最大の理由となった、10年前の党首討論と「その後」についてだ。もちろん、野田氏は演説でこの党首討論に触れた。しかし「その後」については語っていない。

「追悼」の場だからこそ、語られなかったこと。忘れるわけにはいかない、安倍政治の負の側面だ。

あの党首討論は2012年11月14日に行われた。野党・自民党の総裁として野田氏に衆院解散を迫る安倍氏に対し、野田氏は、この日衆院に提案した、衆院議員の比例定数を削減する法案などについて、今国会での成立に向けた自民党の協力を求めた。

民主、自民、公明の3党は、野田政権最大の政治課題だった「社会保障と税の一体改革」をめぐり、2014年4月に消費税率を8%、15年10月に10%に引き上げることで合意していた(いわゆる「3党合意」)。野田氏には「国民に痛みを強いる以上、政治家も身を切る覚悟を示さなければいけない」との思いがあった。

比例定数の削減に難色を示す安倍氏に、野田氏は畳み掛けた。

「(定数削減への協力に)ご決断をいただくならば、私は今週末の(11月)16日に解散をしてもいい。ぜひ国民の前で約束してください」

解散期日を国会の場で明示して野党に協力を求めるという、異例の行動に出た野田氏。虚をつかれた安倍氏は「今、私と野田さんだけで決めていいんですか。そんなはずないんですよ」と逃げを打とうとしたが、野田氏はさらに「明快なお答えをいただいておりません」と追い討ちをかけた。

「16日に解散をします。(定数削減を)やりましょう」

「それは約束ですね。約束ですね。よろしいんですね。よろしいんですね」

この2日後の16日、民主、自民、公明の3党は定数削減について「(2013年の)次期通常国会終了までに結論を得た上で、必要な法改正を行うものとする」という合意文書をまとめた。野田氏はこの日、言葉通りに衆院を解散した。民主党は選挙で大敗して野党に転じ、自民党は政権を奪還。安倍氏は野田氏の後任の首相に就任した。

それから3年あまりが過ぎた2016年2月19日。野田氏は衆院予算委員会で、野党議員として安倍首相との「直接対決」に臨んだ。野田氏が質問したのは、あの「党首討論の約束」についてだった。

「安倍さんは『2013年の通常国会で、定数削減を含む選挙制度改革をしっかりやりますよ』と言った。その約束を受けて、私はあなたから要請のあった衆院を解散する約束を果たしたんです」「ところが、約束したはずの定数削減は、残念ながら実現できませんでした。できないまま今日に至っている」

安倍氏は4分近くも、質問に関係のない話を延々と語ったあげく「定数削減を言うのは簡単ではありますが、実際に実行するのは簡単ではない」と述べた。

答弁を聞いた野田氏は「一言くらい、国民の皆さまにおわびの言葉くらいあるのかと思ったら、驚きましたよ今の答弁」とあきれたように述べると、例の合意文書をパネルに示して、改めて安倍氏の見解をただした。これに対する安倍氏の答弁がこれだ。

「私たちは(12年の)衆院選で勝った。皆さんは負けた。そのこともかみしめていただきたい」「これは共同責任です。3党がそれぞれの責任をかみしめなければいけない」

ヤジに包まれる議場。野田氏は語気を強めた。

「いやあ『びっくりぽん』ですね。本当に驚きますね。これでは前向きな議論できないですよ」「天下の総理大臣にこんなことは言いたくないが、2013年までにできなかった、ということは、国民にウソをついたことになるんですよ。それに対する痛みも責任感も感じない今の答弁には、私は満身の怒りを込めて抗議したいと思います」

野田氏の追悼演説は、結果として首相当時の安倍氏のさまざまな国会答弁の数々を、まざまざと思い出させた。この日のやり取りもそうだし、その後のコロナ禍における国会での振る舞いまでも、一気に記憶がよみがえった。

追悼演説で野田氏は、安倍氏の答弁について「少しでもすきを見せれば、容赦なく切り付けられる」と振り返った。実際、首相時代の安倍氏は、国会で野党の質問に真摯に答弁するどころか、時にはヤジまで飛ばして質問者をこき下ろしてきた。

そもそもこういう言動自体、議会における首相の「あるべき姿勢」ではない。国会は野党が国民を代表して質問し、政府は誠実に答弁するのが、それぞれに与えられた役割だ。質問者の後ろには国民がいる。質問者に「容赦なく切りつける」のは、国民を罵倒しているのと同じであり、政府のトップとして恥ずべき行為である。

安倍氏が質問者攻撃に走るのは、突っ込まれたくないことがあるからだ。前述の野田氏とのやり取りでいえば、衆院解散と引き換えに約束した「次期通常国会での定数是正」を反故にしたことである。

約束を実現できない政治力のなさも問題だが、率直に対応の遅れをわび、約束の誠実な履行を誓う場面でもあれば、まだ救いがある。だが、安倍氏はそれをしない。失政の責任を決して認めない。「誰かだけに責任があるわけではない」という答弁は、その後のコロナ禍の際に記者会見で言い放った「私が責任を取ればいいというものではない」という発言を思い起こさせる。

安倍氏はこうして、国会や政治全体における「ことば」を壊し続けた。都合の悪い問いに答えず、関係ない答弁を長々と振りかざして質問時間を浪費する。質問者に敬意を払うどころか、逆に攻撃を繰り返す。「私たちは(選挙に)勝って、(野党の)皆さんは負けた」などと答弁席で言い放つ姿は、見るに堪えるものではなかった。

一連の流れを野田氏が覚えていないわけはない。それでも、追悼演説という性格を十分にわきまえ、最後まで礼節ある言葉を発することに努めた。そのことには筆者も共感する。深い敬意を評したい。

しかし、野田氏が安倍氏との国会論戦について「丁々発止」「真剣勝負」「張り詰めた緊張感」などの「美しい」言葉を繰り出すたびに、筆者はどうしても、それとは真逆の論戦の数々を思い起こしてしまうのである。

筆者には、安倍氏の数々の答弁を、野田氏のように「美しく」振り返ることはできない。

「せっかくの感動的な追悼演説の直後に、わざわざ安倍氏を悪く言うのか」。そんな批判も聞こえてきそうだ。しかし、追悼演説の内容と、安倍氏自身の政治的評価を、安易に一緒にすべきではない。

野田氏の演説は非の打ちどころのないものだった。しかしそれは「追悼」という特別な場面のために用意された言葉である。その基本を踏まえることができなければ、あの演説によって、党首討論をめぐる一連のエピソードが一種の「美談」と化してしまう。

追悼演説が議事録に残り、後世の国民がそれを読んで、安倍氏がまっとうな国会論戦をしていたかのように受け取られるとしたら、それは大きな誤りである。

追悼演説を通して安倍氏の死を悼むことは当然だ。しかし、前述したように、追悼演説で語られなかったことにも、私たちはずっと目を向け続けなければならない。野田氏自身が演説で語ったように。

「長く国家の舵取りに力を尽くしたあなたは、歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)です。(中略)国の宰相としてあなたが遺した事績をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちとともに、言葉の限りを尽くして問い続けたい」

国葬や追悼演説で「美しく」語られる言葉だけをもって、安倍政治のすべてとすることはできない。死してなお、安倍氏は歴史の法廷に立っている。「安倍政治とは何だったのか」を検証する作業は、国葬や追悼演説で区切りがつくようなものではないのだ。

image by: 首相官邸

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