昨今、ようやく日本社会においても問題視されるようになったルッキズム。しかしながらまだ周知されているとは言い難い状況であることも間違いありません。そんなルッキズムに対する批判をテレビ番組が行っていたことに異を唱えるのは、現役医師で作家の和田秀樹さん。和田さんはメルマガ『和田秀樹の「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」』で今回、テレビ局がルッキズムを批判する矛盾点を挙げるとともに、視聴者を鬱病にしかねないテレビというメディアの偽善性を強く非難しています。
なぜテレビというメディアは「偽善的」なのか「Mr.サンデー」という番組で、ルッキズムの批判をしていた。
テレビでよく言えるなと呆れてしまう。
今であれば、商社であれ、銀行であれ、それどころかフライトアテンダントであれ、入社の条件に容姿を入れているのがバレれば、その会社は大バッシングを受け、株価も暴落するだろう。
ところが、テレビ局だけは、堂々とルックスでアナウンサーを選んでいる。
選ばれた側も自分はルックスがいいと心の中では思っていることだろう。
アナウンサーに容姿が必要なのか?
さらにいうと、やせすぎに近い人を平気で選ぶ。
それをまねして死ぬ人もいるだろう。
少なくとも自分たちが堂々とルッキズムをやっているのに、よくルッキズムの問題を取り上げられると呆れてしまう。
テレビというメディアは、どうしてこうも偽善的なのだろう。
私が偽善を嫌うのは、人間を「かくあるべし」に縛るからだ。
この「かくあるべし」が鬱のもとになり、結果的に多くの人の命を奪う。
世の中というのは、理想通りにいかないという当たり前のことをテレビは否定する。
ちょっとした人気者が不倫したとか、多目的トイレでエッチをした。確かに道徳的にはよくないというか、許せないところもあるが、人間ってそういうダメな生き物だよなという寛容さがないと精神科医は務まらない。
ところが、テレビのコメンテーターの連中は、正義の味方のような面をして、人にかくあるべしを押し付けながら、自分はどうなんだというようなことを平気でする。
見ている側は善良な市民なので、それを偽善とは思わず、そういう風に生きないといけないと思い込む。たとえばルッキズムはいけないことなのだと。ところが不思議なことにテレビの信者の人は、じゃ、なぜテレビ局に採用されるのは美男美女なんだということを疑問にもたない。
私が中学受験をするころ、テレビは受験戦争の弊害や子供が可哀想論をおしつけ、逆に子供に競争や苦労も必要だというような人はテレビには出してもらえなかった。
ところが、中学受験塾でも灘中に入ってからも、朝日新聞やNHKの子供が何人もいた。
当時は、こいつらは子供の競争相手を減らすために偽善をやっているのかと気づかされたものだ。
ここでもう少し前頭葉が機能していれば、視聴者のほうもテレビはきれいごとをいうけど、それは本音と違うということに気付ける。私の時代の親たちは、「テレビは、学歴を批判するけど、世の中はちゃうぞ」と教えてくれたものだ。
でも、日本人の平均年齢(平均寿命ではない)が48歳になっている現在では、前頭葉機能はすっかり衰えている人がマジョリティだ。
コンプライアンスなるものもふくめて、今日もテレビは偽善をおしつけ、うつ病になりやすい人間を量産し続けているのは確かだ。
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※本記事は有料メルマガ『和田秀樹の「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」』2023年3月18日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月すべて無料のお試し購読をどうぞ。3月分のすべてのメルマガが届きます。
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