昨年2月24日の侵攻開始以来300日以上を費やすも、遥か格下と見ていたウクライナ相手に苦戦するロシア。ここに来て制服組のトップを軍事作戦の総司令官に任命するに至りましたが、この人事は何を表しているのでしょうか。今回の無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』では国際関係ジャーナリストの北野幸伯さんが、ロシア軍の「ラスボス」ともいうべきゲラシモフ参謀総長出陣の意味を解説。プーチン大統領が戦術核を使用する可能性についても言及しています。
ロシア軍の【ラスボス】登場!総司令官交代でどうなる?今回は、久しぶりに「ロシア―ウクライナ戦争」について。
皆さんご存知のように、ロシア軍は苦戦しています。ロシア軍は、2022年2月24日の侵攻開始からこれまで、3回大きな敗北を喫しています。
1回目は、首都キーウ攻略に失敗したこと。プーチンは当初、「ウクライナ侵攻は、2〜3日で終わる」と見ていた。「ゼレンスキーは逃亡し、キーウは速やかに陥落するだろう」と。しかし、ロシア軍はキーウを落とすことができませんでした。
2回目は2022年9月11日、ハルキウ州での戦いに大敗したこと。プーチンは、この敗北に衝撃を受け、二つの重要な決断を下しています。9月21日に「動員令」を出したこと、そして9月30日にルガンスク州、ドネツク州、ザポリージャ州、ヘルソン州をロシアに併合したことです。
3回目の敗北は、11月11日にヘルソン州の首都ヘルソン市を失ったこと。ロシアは、9月末に「併合した」州の州都を、40日後に奪われてしまった。この事実は、これまでプーチンを支持してきたロシア国内の極右勢力をも激怒させています。
プーチンの世界観に大きな影響を与えたとされる地政学者アレクサンドル・ドゥーギンも、ついにプーチン自身を批判しはじめました。時事通信11月14日。
ドゥーギン氏は10日、通信アプリでヘルソン市撤退について「ロシアの州都の一つ」を明け渡したと指摘し、完全な権力を与えられた独裁者は、国民や国家を守るものだと強調。失敗時には、英人類学者フレイザーの古典「金枝篇」中の「雨の王」の運命をたどるとした。干ばつ時に雨を降らせられない支配者が殺されるとの内容を指しているとみられる。
つまりドゥーギンは、「領土を守れないプーチンは、殺される」といっているのです。このように、「ロシア軍の劣勢」は明らかです。
ロシア軍劣勢の証拠=総司令官が頻繁に代わる昨年2月24日にウクライナ侵攻がはじまったとき、この戦争を指揮する「総司令官」はいなかったようです。プーチンは、「ゼレンスキーが逃亡し、政権は崩壊する。ロシア軍はキーウを2〜3日で陥落させることができる」と見ていたからです。
そのため、プーチンは、「戦争」という用語の使用を禁じました。「特別軍事作戦」という言葉を使わなければならない。意味は、「これは、戦争なんて大げさなものではない。2〜3日で終わる作戦なんだよ」という意味です。
ところが、ロシア軍は勝てず、戦闘が長期化していく。その為、この戦争の総司令官が必要になったのです。
一人目の総司令官は、2022年4月に任命されたドヴォルニコフ上級大将です。この方は2015年、ロシアによるシリア内戦介入の指揮をとり、名を挙げました。西側メディアは、「シリアの虐殺者」と呼んでいます。
二人目は、ゲンナジー・ジドコ軍政治総局長。アメリカの「戦争研究所」が6月26日、ドヴォルニコフと交代したとの分析を明らかにしました。
三人目。2022年10月、「アルマゲドン将軍」と呼ばれるスロヴィキン上級大将が、総司令官に任命されました。ちなみにBBC2022年10月13日は、スロヴィキン任命について、
ロシアがウクライナでの軍事作戦全体を担う総司令官を正式に指名したのは、今回が初めてのようだ。それまでは、アレクサンドル・ドヴォルニコフ将軍が、総司令官だと複数メディアが報じていた。
としています。スロヴィキン以前は、「事実上の総司令官」ということなのでしょうか。この「アルマゲドン将軍」、クレムリンもロシア国民も非常に期待していたのですが、たった3か月で交代することになりました(これからは、副司令官になるそうです)。
そして、出てきたのが、ロシア軍の【ラスボス】です。
ゲラシモフ参謀総長 = ウクライナ戦争総司令官にさて、スロヴィキンに代わって、特別軍事作戦の総司令官に任命されたのは、なんと、ゲラシモフ参謀総長その人です。NHK NEWS WEB1月12日。
ロシアでウクライナへの軍事侵攻の指揮を執る新たな総司令官に、軍の制服組トップのゲラシモフ参謀総長が任命されました。ロシアの新聞の中には「大規模な攻撃前夜だ」という見方を伝えるところも出ています。
ロシア国防省は11日、ショイグ国防相が、軍事侵攻の指揮を執る新たな総司令官にゲラシモフ参謀総長を任命したと発表しました。
ロシアで軍の制服組トップの参謀総長が、軍事作戦でみずから指揮を執るのは異例のことです。
ゲラシモフ参謀総長といっても、普通の日本人は知らないでしょう。どちらかというと、ショイグ国防相の方が有名です。しかし、実をいうとショイグさんは、軍事の素人。ショイグさんは、1991年から2012年まで、21年間も「非常事態省」のトップでした。この省は、山火事とか洪水とか、大きな事故などが起こった時に、被災者、被害者を助ける役割です。ショイグは、「困ったときに助けにきてくれる頼れるおじさん」ということで人気者になった。それで2012年、国防大臣に出世したのです。人気はあっても、軍事のことは何もわかりません。
一方ゲラシモフさんは、「ほんまもんの軍人」です。第二次チェチェン戦争で、ロシア軍の指揮をとった。2012年に参謀総長に任命された。2014年には、ウクライナ内戦に介入し、自称ルガンスク人民共和国、自称ドネツク人民共和国を助け、ロシア有利で、ミンスク合意にこぎつけるのに貢献しました。
そしてこの方、西側の軍人には、「戦略家」として知られています。ゲラシモフが提唱している戦略を「ゲラシモフドクトリン」呼びます。これは、要するにロシアの「ハイブリッド戦争理論」ですね。
では、ハイブリット戦争とはなんでしょうか?戦争の手段として、軍事的手段だけでなく、非軍事的手段の役割を重視する。非軍事的手段とは、たとえば、政治、経済、情報、敵国住民の抗議ポテンシャルを高めるなどなど。
2014年3月、ロシアは無血で、ウクライナからクリミアを奪いました。これを、「ハイブリッド戦争の大成功例」と見る人がたくさんいます。別の言い方でいえば、「ゲラシモフドクトリンの勝利」。
ラスボス出陣が意味することでは、ゲラシモフ参謀総長が、ロシア―ウクライナ戦争総司令官になることの意味は、何でしょうか?
一つは、ロシア軍がかなり追い詰められているということ。ロシア軍が勝っているのなら、総司令官をコロコロ代える必要がない。ましてやロシア軍のラスボスが、総司令官になる必要などない。
二つ目は、ロシア軍が大規模な攻撃をしかけようとしている。ゲラシモフは、自分の威信にかけて、ウクライナ軍に勝とうとするでしょう。大きな戦いが迫っています。
三つめは、もしラスボス・ゲラシモフが勝てなかったらどうなるのだろうということ。いよいよ追い詰められたプーチンが、「戦術核」を使う可能性が高まります。
私たちは、プーチンが戦術核使用の決断を下さないことを願いましょう。
(無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』2022年1月13日号より一部抜粋)
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