世間じゃ、女性経験があるものが上級で、童貞は何かと迫害されてしまう風潮があります。

 

 

しかし、こんなアンケートが……。

 

とあるクリニックが男性に対し女性経験の有無を聞いた結果、30代の14%がゼロと回答。チェリーボーイは意外と多いのです。性に向ける情熱を他分野に注ぐ人がいたっていいんです。現に童貞で多大な功績をあげた偉人もたくさんいます。

 

同人誌世界では、30代まで女性経験が無いと魔法使いという上級職にクラスチェンジできるという伝説がありますが…今回は歴史に名を残す、本当に魔法使いになったかもしれない偉人達を紹介します。

 

性欲を運動で発散「宮沢賢治」

NHK 100分de名著 2017-02-28 発売号
Fujisan.co.jpより

 

「注文の多い料理店」「銀河鉄道の夜」など、その作品は教科書に掲載されるなど後世に多大な影響を与えた童話作家。病などもあり、恋愛に積極的ではなかったそうで童貞を貫いたと言われています。そんな賢治は、性欲の乱費は自殺行為。仕事に影響が出る、という考えを持っていたようです。では、誰しも起こる性衝動をどのように抑えたのか? 

 

賢治はそのような時、一晩中歩いて性欲と闘ったそう。思い返すと私も中学生の頃、教師が得も言われぬ性衝動が沸き起こった時はランニングしろと言われた経験があり、教師はそんな逸話を知っていたのかもしれません。

 

一方で、賢治は春画コレクターであったり、猥談好きであったそう。また遊郭に行ったと話すこともあったそうで、素人童貞、もしくは童貞を演じるビジネス童貞の可能性もあります。

 

人類史上最も有名な童貞「アイザック・ニュートン」

 

万有引力の発見など、多くの業績を遺した人類で最も有名な物理学者の一人にして、最も有名な童貞の一人。研究に没頭するあまり、不眠症や食欲不振など、天才にありがちなデリケートな一面がある一方、性格に難有りとも。高慢で同業者に嫌がらせをしたりとモテ要素を欠きます。とはいいつつも、婚約者がいた説もあり、濡れ衣童貞かもしれません。

 

まさに魔法使いになろうとした「細川政元」

室町時代の名門・細川家当主。対立していた11代将軍・足利義材が政敵討伐で京を空けると政元はクーデターを決行。足利義澄を将軍に据え義材の追放に成功。この明応の政変後、政元は幕政を掌握。半将軍と呼ばれるほど権勢を誇りました。

 

さて、そんな彼が没頭したのは「天狗になって空を飛ぶ」ため修行すること。そのため女人禁制を固く守り生涯独身を貫きます。また奇行も多く、要職にありながら突然京を抜け出し地方に修行に行ったり、怪しげな経を読んだり、延暦寺を焼き討ちしたり、武家の慣わしで被らなければいけなかった烏帽子を嫌ったりとエキセントリック。周囲はドンびきしていたそうです。どうやら天狗にはなれなかった模様。

 

偉人にして変人?「2大ヘンリー」 ヘンリー・キャヴェンディッシュ

1737年生まれのイギリス人の金持ちであり化学者・物理学者。天才的な功績で多くの学者から評価を得ます。彼は完璧主義者で死後見つかった資料の中には世に発表された時期より先んじて発見した研究結果の論文などがあったそうです。

 

そんな天才ヘンリーは、大の人間嫌い。誰とも話すことなく、特に女性に対しては距離を置いていたそうで、女性の使用人に対しては置手紙で用事を伝え、遭遇しようものならクビにすることもあったといいます。

 

ヘンリー・ダーガー

HiVi(ハイヴィ) 2014-09-17 発売号
Fujisan.co.jpより

 

1892年シカゴで生まれたアーティスト、ヘンリー・ダーガー。掃除人として働く病院と教会に出かける以外はアパートの自室に引きこもり。全く他人とコミュニケーションを取らなかったそう。ゆえに姓の発音がダーガーなのかダーギャーなのかはっきりしないんだとか。

 

さて、この人が何故偉人かというと、以下のエピソードからうかがえます。彼は誰とも接触しないまま晩年、病気を患い救貧院で生活します。そこにアパートの大家がやってきてヘンリーから部屋の持ち物の処分を依頼され、大家が部屋を片付けているときに発見されたのが、長編小説と挿絵群。

 

この小説「非現実の王国で」はヘンリーが19歳の頃に書き始め、81歳で亡くなる半年前まで執筆され、1万5000ページにおよぶ超大作。また挿絵も300点ありました。誰にも発表せず、廃棄まで依頼したヘンリーは孤高のアーティストとして名を遺しました。

 

ただ、問題なのは挿絵に登場する女の子。全裸の子もいたりするのですが、男性器がついていました。

 

先にも言いましたが彼らは性に向ける情熱や想像力を研究や創作物に向けることで、非チェリーには到達できない領域で成果を達成しています。そう、童貞は差別されるべきことではないのです。ひとつの個性として認められるべきとも考えます。