2020年――今年も多くの著名人が別れを告げ天国へ旅立ちました。彼らの遺したひとつひとつの功績は偉大できっとこれからも語り継がれていくでしょう。

今回は今年上半期に亡くなった方々の足跡やエピソードを振り返りたいと思います。

1月

俳優:宍戸錠さん……18日、虚血性心疾患のため亡くなりました。86歳でした。デビュー後、アクの強い顔にするため頬を膨らませる美容整形手術を受け悪役として活躍。その後2001年にその頬に注入した異物を除去し自宅で保存していましたが13年自宅が全焼。この時、その異物も失われたと会見で語りました。

2月

プロ野球:野村克也さん……11日、虚血性心不全のため亡くなりました。84歳でした。選手として南海をはじめ3球団を渡り歩き、戦後初の三冠王に輝くなど歴代2位となる657本塁打を放ったスラッガー。監督としては歴代5位となる1565勝を挙げる名将でした。現役を西武で終えた野村さん。使用していたヘルメットを倉庫に残しておいたそうで後に偶然それを使用し大活躍したのが歴代5位の525本塁打を放った清原和博さん。巨人時代、頭部に死球を受けた際、塗装が剥げ下地の西武ブルーが見えてしまうハプニングもありました。

3月

声優:増岡弘さん……21日、直腸がんのため亡くなりました。83歳でした。『サザエさん』の二代目マスオ役を約40年、『アンパンマン』のジャムおじさん役を約30年担当しましたが亡くなる約7か月前に高齢を理由に降板。体調不良で一時降板していた『正直さんぽ』のナレーションはスタッフのラブコールもあり継続。

逝去後、番組の最後に追悼メッセージが送られたり出演している有吉弘行さんもツイッターで感謝のコメントを発表しました。

コメディアン:志村けんさん……29日、新型コロナ感染症にともなう肺炎のため亡くなりました。70歳でした。死してなお多大な影響力を見せる志村さん、出身地東京・東村山市に銅像を建てるクラウドファンディングには目標金額をはるかに超える2700万円の支援が。また所有していた2台の高級車のうち1台を“最後の愛弟子”と言われる千鳥の大悟さんが購入。大悟さん自身運転免許をもっていないにも係わらず購入したことに“形見分け”のように買い受けたと話題になりました。

4月

プロ野球:関根潤三さん……9日、老衰のため亡くなりました。93歳でした。柔らかな語り口が人気の解説者だった関根さんは1950年、近鉄に投手として入団。通算65勝を挙げ途中打者に転向し1137安打を放つ活躍。50勝1000安打を達成したのはプロ野球で2人だけの快挙でした。現役引退後は指導者となった関根さん。広島のコーチ時代は遅くまで飲みに出かけていた衣笠祥雄さんを待ち伏せ、帰ってきたところを捕まえ朝まで素振りをさせたという厳しい一面もありました。

映画監督:大林宣彦さん……10日、肺がんのため亡くなりました。82歳でした。自身の出身地を舞台にしメガホンを執った映画『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』の尾道三部作は熱狂的な支持を受け、聖地として多くのファンがロケ地に訪れました。また若かりし頃、CMディレクターとしても活躍。70年代話題をよんだ、ハリウッドスターのチャールズ・ブロンソン出演の「マンダム」のCMを手掛け、「う〜んマンダム」というセリフを言わせたのも大林さんの発案だったそうです。

女優:岡江久美子さん……23日、新型コロナによる肺炎のため亡くなりました。63歳でした。75年ドラマデビュー後、明るく親しみやすいキャラクターでバラエティー番組などでも活躍。96年からTBS『はなまるマーケット』の司会を17年半もの間、務めました。

感染対策のため家族は臨終や火葬に立ち会えなかったそうです。

5月

プロ野球:マット・キーオさん。日本時間2日、肺塞栓症のため亡くなりました。64歳でした。投手として阪神に入団。1年目となる1987年シーズンではいきなり開幕戦に先発するなどエースとして活躍。80年代後半、阪神の暗黒時代を支える大黒柱的存在でした。また父マーティ・キーオさんも南海でプレーをしていた元プロ野球選手。幼少期、日本に滞在していたこともあったマットさんはプロ野球選手として来日した際の会見で「知っている日本語」を聞かれると「ドン・ガバチョ」と回答。かつて見ていたひょっこりひょうたん島のキャラクター名をあげていました。

6月

作編曲家:服部克久さん……11日、末期腎不全のため亡くなりました。83歳でした。国民栄誉賞を受賞した作曲家・服部良一さんを父に持つ克久さん。テレビ番組『ザ・ベストテン』『クイズ100人に聞きました』『カノッサの屈辱』など多くの名物番組のテーマ曲を作曲。また谷村新司さんのヒット曲『昴』の編曲を担当しました。

 

次回、下半期へ……。