森山周一郎さん演じる、中年パイロットが主人公

「飛ばねぇ豚は、ただの豚だ」

 森山周一郎さんの渋〜い声で、そんな名台詞を吐くのが劇場アニメ『紅の豚』(1992年)の主人公ポルコ・ロッソです。ポルコは、顔は豚ですが、粋な台詞を口にするダンディな飛行艇のパイロットです。

 宮崎駿監督の『紅の豚』は1992年7月に公開され、興収54億円の大ヒット作となりました。宮崎監督の前作『魔女の宅急便』(1989年)が持つ劇場アニメの国内記録だった43億円をあっさり更新し、スタジオジブリの人気を不動のものにした感があります。

 1992年はスタジオジブリの新社屋が東京都小金井市に建てられ、『紅の豚』はジブリ内の活気が反映された作品にもなっています。2022年1月14日(金)の「金曜ロードショー」(日本テレビ系)で放映される、『紅の豚』の見どころを紹介します。

宮崎アニメ史上、最も趣味色の強い作品

 宮崎駿監督が手掛けてきた劇場アニメ作品のなかで、『紅の豚』は最も趣味色が強い内容となっています。『魔女の宅急便』の完成後、次回作となる長編アニメに取り掛かる前に、宮崎監督自身が楽しめる軽い短編アニメを作ろうという考えから生まれたのが『紅の豚』でした。宮崎監督が「月刊モデルグラフィックス」(大日本絵画)に連載したマンガ『飛行艇時代』が原作となっています。

 原作マンガも劇場アニメも、豚の顔をした中年男のポルコが主人公です。世界恐慌時代のアドリア海を舞台に、戦闘飛行艇に乗ったポルコは賞金稼ぎとして、空賊連合を相手に空中戦を繰り広げます。アニメーションで飛行艇同士の空中戦を描くだけでも大変な作業ですが、水面に発着する飛行艇ゆえに水しぶきや波も細やかに描写する必要があります。

 そんな手間のかかるシーンに、宮崎駿監督は嬉々として取り組んでいます。飛行艇に対する宮崎監督の偏愛ぶりが伝わってきます。天才アニメーター・金田伊功氏も原画担当として参加しています。宮崎監督は実家が飛行機工場、金田氏は父親が航空自衛隊のパイロットだったことが知られています。宮崎監督らが子供の頃から憧れ続けた、空に生きる男たちの冒険物語となっています。

 物語の中盤、新しくなったポルコの愛機サボイアS.21試作戦闘飛行艇が運河から離水するシーンは、何度観ても胸躍るものがあります。これだけ飛行艇に特化したハイクオリティーな劇場アニメは、おそらく今後はもう作られることはないのではないでしょうか。

 ヒロインはふたり登場します。ひとりは17歳にして有能な飛行機技師であるフィオ。いかにも宮崎監督好みの働き者の美少女です。フィオを演じた声優の岡村明美さんは、本作がデビュー作となりました。もうひとりはポルコと同世代のマダム・ジーナ。戦いに疲れた男たちを癒してくれる熟年美女です。歌手の加藤登紀子さんが、ジーナを演じています。宮崎監督が大好きなものばかりで『紅の豚』は構成されています。

戦争中に追い詰められたポルコが目撃したという「飛行機の列」 (C)1992 Studio Ghibli・NN

ポルコが豚の顔になった理由

 しかし、なぜポルコは豚の顔になったのでしょうか。かつてはイタリア空軍のエースパイロットとして名を馳せたポルコですが、大戦中の出来事から空軍を離れています。ポルコの心の葛藤を描くことで、当初はお気楽な短編アニメになるはずだった『紅の豚』は、上映時間93分の長編アニメへと変わることになりました。

 ポルコがフィオに語る昔話が、とても印象的です。多くの敵機に囲まれ、死を覚悟したポルコは雲の平原へと辿り着きます。雲の平原のさらに上空にはひと筋の不思議な飛行機雲が流れていました。その雲は、よく見ると戦争で撃墜された飛行機の群れだったのです。ポルコの親友が乗っていた飛行艇も、その列へと加わって行きます。親友はジーナと結婚したばかりでした。飛行機の列は、静かに冥界へと向かいます。

 ポルコは運よく生還を果たします。しかし、親友を守ることができず、自分ひとりだけ生き残ったことへの罪悪感、後ろめたさから、ポルコは豚になる呪いを自分に掛けたのでした。ポルコに掛けられた呪いは、宮崎駿監督自身の屈折した想いでもあるようです。

 宮崎監督が青春時代を過ごした1960年代は学生運動が盛んな時代でした。多くの若者たちが社会をよくしたいという気持ちから、反戦デモなどに参加していました。宮崎監督も東映動画(現・東映アニメ)時代に高畑勲監督らと労働組合に加わり、労働条件の改善を訴えています。『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)は、そんな時代の熱気を感じさせる作品となっています。

幻となった続編『ポルコ・ロッソ 最後の出撃』

 1970年代に入り、熱い政治の季節は終わり、学生運動は終息していきます。宮崎監督は東映動画を辞め、TVアニメ『ルパン三世』(日本テレビ系)などのエンタメ作品を手掛けるようになります。世間から距離を置き、義賊的に生きるルパン三世と賞金稼ぎのポルコはどこか通じるものがあるように思います。

 宮崎監督はスタジオジブリという理想の職場を得て、大ヒット作を連発するようになりますが、それでも心の奥には挫折感、やり残した想いを抱え続けているようです。

 宮崎監督は安易な続編を企画することはありませんが、『紅の豚』は後日談を考えていたそうです。『ポルコ・ロッソ 最後の出撃』というタイトルが予定されていましたが、ポルコ役の森山周一郎さんが2021年2月に亡くなったため、幻の企画となってしまいました。

 胸の奥に浄化されずいる複雑な想いがあるからこそ、宮崎監督は引退宣言を何度も撤回し、アニメーション制作を今も続けているのではないでしょうか。宮崎監督にとってアニメーションとは、永遠に解けない呪いであり、同時にどこまでも飛んでゆける無限の魔法でもあるようです。