子供の頃から、つらい体験ばかりだった善逸

 寝ているときは強敵相手に神速の剣術を放つれけど、起きている時は怖がりで女好きで挙動不審……というギャップが魅力となっている、『鬼滅の刃』の我妻善逸。主人公である竈門炭治郎の同期で、物語の主役級のひとりでもある人気キャラクターです。

 この善逸、戦闘場面では鼻にちょうちんを浮かべているなど「寝ている」ような描写がなされています。実際、自分が「雷の呼吸」を使いこなして、上弦の鬼などの強敵と渡り合っていても「寝ている間のことは、全然覚えていない」ので、自分の実力はいつまでも自覚しません。起きている時はネガティブで、不平不満を垂れ流すような性格なので「いつの間に大けがしていた」と大騒ぎなのです。

 それだけ見ると「寝ている時は、本来の実力を出せて強いのか」と思えますが、善逸の寝ている状態(戦闘時)は、周囲の状況を認識していますし、それどころか伊之助など、仲間に口頭で指示を出してもいます。これは果たして「寝ている」と言えるのでしょうか。

 ヒントになるのは、「起きている善逸のカッコイイ時」だと思います。善逸が魅力的なのは、(情けない振る舞いをする)起きている時でも、弱い者、特に女性が危機に陥っているときは、全力で助けようとする部分や、恩義がある師匠・桑島慈悟郎には、深い情を見せる部分です。

 どれだけ弱音を吐いても、根っこのところには正義感があり、仲間思いな部分も垣間見えるのです。これは「寝ている時の善逸」にも共通する部分ですから「善逸の素の部分」なのではないかと想像できます。

 あのギャップのある性格は、後天的な体験でそうなったものではないでしょうか。

 善逸は捨て子で「親のいない俺は誰からも期待されない」「一度失敗すると皆離れていく」と語る場面があります。また公式ファンブックでは、善逸は「美人系、可愛い系、大店のお嬢さん、舞妓さん、お茶屋のお嬢さんなど、7人の女の子と付き合ったが、奴隷のように扱われ、手も握らせてもらえなかった」「自分を褒めた女の子が、裏では気持ち悪がって嘲笑し、見下しているのを聞いた」と書かれています。

 女性不信になるものの、根が明るいため、立ち直って別の女性の借金を背負ったものの、その女性は他の男と駆け落ちしたなど、悲惨な過去を背負っています。そんななかで、桑島慈悟郎に借金を肩代わりしてもらった恩義から、鬼殺隊に入りました。

 ただ、鬼殺隊とは、文字通り「人外の化物である鬼と戦う」組織ですから、その訓練の過酷さは「何度も脱走しようとしたが、桑島慈悟郎に投げ縄で捕まった」というほどで、慈悟郎が人情のある性格とはいえ、あまり幸せではなさそうです。

 捨て子で苦労し、思春期に入ったら女性に奴隷扱いされ、そこから抜け出したら、鬼殺隊で生命の危機にさらされた。その「いつも脅かされている人生」が、善逸の性格を臆病で卑屈な方向にしていったと考えられるのです。

 でも、善逸は本質的に善良で、お人よしでもあります。鬼を恐れつつも、子どもを庇(かば)ったり、禰豆子が入った箱を背負う炭治郎を信じて、伊之助に暴行されつつも箱を守ったりします。単行本4巻には「善逸の己の弱さに対する嘆きは、誰かの役に立ちたいという願いの裏返し」と書かれています。

 つまり「眠っている善逸」とは、「善逸のありたい姿」を無意識で投影したものではないでしょうか。

アニメ『鬼滅の刃』でもたびたび描かれ、臆病な善逸を端的に表現している絶叫シーン (C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

ストレスのなかで、困難に立ち向かえる「別人格」が誕生?

 現実でも、善逸のような「別人のような振る舞いをし、記憶の連続性がない」人はいます。いわゆる「多重人格(解離性同一性障害)」です。

 この症状をもつ人は、複数の人格が交代で現われます。自己作用感、意志作用感が不連続となり、感情、行動、意識、記憶といった、人格の一貫性が保てないという症状があります。「幼少期の大きなストレスやトラウマを原因として、ひとりの人に、本来のその人とは違った複数の人格が代わる代わる現れる」障害とされています。

 捨て子で苦労し、女性に裏切られ、鬼殺隊で命を脅かされてネガティブになった善逸が「ストレスのなかで、困難に立ち向かえる別人格を無意識に創り出した」ということです。でもその人格は「誰かの役に立ちたいという願い」で生まれたため、本質的には善良な善逸の美質と同じものを持っているのではないでしょうか。

 また現実世界でも、傭兵のなかには「どんなに疲れても、風で草が鳴るだけで目が覚める」「眠っていたのが1分でも、ぐっすり眠った感覚がある」人がいるようです。

 マンガ作中の描写ではありますが「眠っている善逸」のような人物が実在するなら、多重人格で寝てはいない。寝ているように見える時は「一瞬だけ寝て、回復している」と考えると、すんなり理解できるように感じるのです。