日本初となる開閉式の福岡ドームが開場して28年がたとうとしている。プロ野球の近鉄、横浜(現DeNA)に在籍した松久保新吾さん(50)は、初めて福岡ドームの天井鉄骨に打球を当てた怪力の持ち主だ。現役引退後は紆余(うよ)曲折を経て現在は故郷の愛知県で運送会社に勤務している。

 1994年6月5日のダイエー―近鉄戦の九回、ダイエー(現ソフトバンク)の若田部健一から一塁側スタンド方向へ大飛球を打ち上げた。打球は鉄骨部分に当たりファウルゾーンで二塁手の森脇浩司にキャッチされた。

 開場2年目で初めての珍事。翌日の地元紙で大きく扱われ、打球がフェアグラウンドに落ちて二塁打以上になったら500万円の賞金が出ていたことを知った。「フェアグラウンドだったら森脇さんに200万円渡してでも落としてもらえばよかったですね」と笑いながら、「フェアグラウンドに打たないといけないのに、こすってファウルフライ。技術がなかったんです」と当時を振り返った。

 “掛布二世”といわれた左の大砲は、87年度ドラフト4位で愛工大名電から近鉄に入団。高校時代は1学年上で中日などで活躍した山崎武司とクリーンアップを打ち、4年後にオリックスに入団したイチローの先輩にあたる。プロ入りしたイチローがあいさつに来ると「『頑張れよ』とはいったけど、ピューと抜かされました」と苦笑いを浮かべた。

 後輩が球界のスターに上り詰める中、通算2本塁打で1軍に定着ができず96年限りで近鉄を退団。97年から2年間、横浜のユニホームを着たが1軍に昇格することはなかった。98年オフに戦力外通告を受け「2、3カ月何をしたらいいか分からず、とにかく免許を取りまくりました」と、大型やけん引など4種類の免許を取った。

 第二の人生について考えたとき、野球一筋に生きてきた男は「野球界にしがみつきたかった」と審判への道を模索。現役審判の話を聞くなどしたが、定員に空きがなく「アメリカの審判学校に行く方法もあったんですが、家族もあるので」と、京都市内の呉服店に就職した。数年間、審判の空きを待ったが、いい知らせはなく、野球界への未練を断ち切るとともに、故郷の愛知県一宮市に戻った。

 最初は家業のアパレル業を手伝っていたが、37歳のときに今の運送会社をみつけ就職。現役引退後の免許取得が役にたち、大型トラックのハンドルを握った。地元ではイチローとともに甲子園に出場した弟とともに軟式野球チームに参加。一時は市内トップクラスのA級で戦っていたが、「今はみんな年をとって、楽しながらやっていますよ」とB級で野球を楽しんでいる。

 近鉄時代に生まれた双子の息子と娘も大学を卒業し就職。「親の責任を果たした」と喜んでいたが、昨年春の健康診断で不整脈がみつかり、夏には心臓の手術を受けた。

 今はトラックから降り、倉庫管理の内勤職場に回っている。「会社には体を気づかってもらっている。このまま内勤でもと思うけど、トラックに乗れるよう元気な体に戻りたい」という。挫折を繰り返した50歳は、再びハンドルを握る夢を追う。

(まいどなニュース/デイリースポーツ・岩本 隆)

 ◆松久保 新吾(まつくぼ・しんご)1969年5月23日生まれ、50歳。愛知県一宮市出身。87年度ドラフト4位で愛工大名電から近鉄へ入団。97年から横浜へ。98年限りで現役を引退。通算成績は79試合に出場し135打数23安打、10打点、2本塁打、打率・170。