広島カープ初の胴上げ投手となった不死身のサブマリン、金城基泰投手(67)を覚えているだろうか。その後は南海、巨人、韓国プロ野球を経て、うどん店店主、実業家に転身。現在は地元大阪で少年野球の手伝いをしながら悠々自適の生活を送っている。しかし、カープのことは気になるようで。失明寸前だった交通事故、感動の優勝から翌年トレードの舞台裏など激動の半生を語ってもらった。

 あのダイナミックで美しい投球フォームは野球ファンの脳裏に焼きついているのではないか。特に広島ファンならなおさらだろう。1975年、球団創設から苦節26年の末、リーグ初制覇を成し遂げた広島。その歓喜のマウンドにいたのが金城さんだった。

 「カープファンのいまでも見たいあのシーンの一番にいつも選ばれる。おいしいですよね。でも、あの年の終盤は中日とのマッチレース。きょう負けたら終わり。そんな日々が続き、みんなヘトヘトでした」

 この場面を語るには時間を戻す必要がある。70年に此花商(現大阪偕星学園)からドラフト5位で入団。「本当は法政大に決まっていて、PL学園の新井宏昌と一緒に行くことになっていた」という。

 すぐに頭角を現し、72年に3勝、73年に10勝。4年目の74年には20勝を挙げ、最多勝と最多奪三振の2冠を手にし、前年19勝を挙げていた同期入団のライバル・佐伯和司と肩を並べる。しかし、そのオフにご褒美として向かったオーバーホール先の大分・湯布院でまさかの交通事故に巻き込まれた。

 「朝の湯布院は霧が発生するんですよ。その日は外木場さんたちと離れ、知り合いの車に同乗してましてね。事故に遭い、昔の車やからフロントガラスが飛び散って両目をやられたんですよ」

 あわや失明の危機。当時の松田耕平オーナーの「野球は無理でも何とか社会復帰させてやれ!」という大号令もあり、奇跡的に最悪の事態は免れる。6カ月の入院を経て、リハビリを再開。そのとき、古葉竹識監督から言われた言葉が「頼む。スーパーマンになってくれ」だった。

 初優勝に向かう街の熱気と古葉監督の情熱。意気に感じた金城さんは医師の反対を押し切り、8月から戦列に復帰すると登板16試合で1勝4セーブを挙げ、救世主となった。「あんときはほとんど見えていなかった」というのはウソかマコトか。

 優勝決定試合の巨人戦(後楽園)では1点リードの八回1死一、二塁の大ピンチで登場し、ここを抑えると直後の攻撃では自身もヒットで出塁。次打者も続き、ゲイル・ホプキンスがトドメの3ランを放っている。

 「あのころのボクは真っ直ぐと曲がらんカーブだけ。それでも打たれる気はせなんだね。抑えるのは自分しかおらんと、うぬぼれてもいた」

 しかし、人生は分からない。優勝を決めた次の試合で気持ちが冷めていく自分を感じた。投手陣総出となった地元での顔見せ凱旋試合。勝ち投手を巡り、古葉監督への不信感が芽生える。

 「あのとき、ストレートに佐伯に白星を、と言ってくれれば良かったのに…。14勝と15勝の違いは同じ投手としてよく分かるから。なのに、投手コーチもはぐらかそうとした。ボクも鼻っ柱が強かったから」

 ここから2人の関係はギクシャクし、古葉監督と旧知の野村克也監督がこれを察知する形で76年オフに南海(現ソフトバンク)へのトレードが決まる。移籍初年度は先発として10勝。その後抑えに転向し、79、80年と最優秀救援投手に輝く。

 「南海時代は近鉄のマニエルとのトレード話もありましたし、実は阪神に行く話もあったんですよ。ともに相手は関西の球団で活躍されたら困るというので立ち消えになりました」

 84年にトレードで巨人へ。登板機会に恵まれず、国内14年間で通算68勝92セーブの記録を残すと、韓国プロ野球でも2年間プレーし16勝5セーブ。美しきサブマリンは、人知れずその翼を静かに閉じた。

 「現役最後の方は、もうおおざっぱな野球じゃなくなっていた。ボクはクイックもできなかったし、力も衰えていた。ノムさん(野村監督)に言われ、韓国に行ったけれど、体はガタガタだった」

 引退後は大阪市内でうどん店を開業。「開店のとき、中畑(清)がわざわざ花を出してくれたのはうれしかった。ホンマ、いい男」。さらに韓国の知人が経営する関連会社を任され、12年間ほどソウルを拠点にしていた。現在は大阪で少年野球のお手伝い。「オーバースイング気味の子にはもっと振れ、と指導しています。そうすることでいいスイングになる。発想を変えないと。こぢんまりするのは良くない」

 プロ野球ではやっぱりカープのことが気になるという。在籍わずか6年。しかし、それだけ濃密な時間を過ごしたからだろう。「カープ女子には驚きました。広島は育ててもらった球団、街の人も弱いときから良くしてくれました。今年は厳しい状況だけれど、がんばってほしいね」と穏やかな表情の金城さん。しかしカープへの思いは、現役時代の浮き上がるストレートのようにまっすぐだった。

(まいどなニュース特約・山本 智行)