大阪府豊能郡豊能町にある「高代寺」には大きな獣舎があり、ツキノワグマのとよくんが暮らしています。とよくんの“とよ”は豊能町の“とよ”。2014年6月19日、この地でイノシシの箱罠に掛かったことから、その“熊生”は大きく変わってしまいました。

 熊をシンボルに豊かな森を守る活動をしている全国組織の自然保護団体『日本熊森協会』は、誤捕獲された推定4歳のオスの若熊が、すぐ山に放獣してもらえるものと思っていました。ところが…。

「鳥獣保護法では、誤捕獲された熊はその場で即放獣するよう定められています。隣接する京都府や兵庫県ではその対応が取られていましたが、大阪府ではとよが初めての捕獲。府は『住民の安全を考え放獣はしない。引き取り先を探す』という方針でした」

 当時の経緯を説明してくれたのは熊森協会の室谷悠子会長(当時は副会長)です。動物園などに引き取ってもらえるのなら、それも選択肢の一つかもしれません。でも、野生の、しかも大人の熊を引き受けてくれるところなど、まずありません。

 案の定、引き取り先は見つかりませんでした。その間、とよくんはどこにいたかと言えば、最初の13日間は、なんと2つのドラム缶をつなぎ合わせただけの狭い空間に閉じ込められていたのです。小さな穴から水やはちみつが入れられていましたが、写真を見る限り、体の向きを変えることさえ難しそう。「ドラム缶から出しても収容する檻がない」と言う大阪府に代わり、熊森協会が秋田県からヒグマ運搬用の檻を取り寄せ、とよくんをドラム缶から救出できたのは7月2日のことでした。

「3〜4歳のオス熊は好奇心旺盛。6月は食べ物を探して行動範囲が広がる時期でもあります。豊能町は京都、兵庫と隣接していますから、知らないうちに県境を越えて罠に掛かったのでしょう。麻酔銃を撃たれ、目が覚めたら真っ暗なドラム缶の中。そこに2週間近く閉じ込められて、よく生きていてくれたと思います」(室谷さん)

 運搬用の檻も1.5×2メートル程度の小ささだったと言いますから、山で暮らしていたとよくんにとっては大変なストレスだったはず。その処遇については全国から多くの声が寄せられ、海外からも5000名を超えるネット署名が届きました。熊森協会は専門家の意見を聞くなどして、京都府内の熊の生息地で放獣できないかと提案しましたが、行政の壁は厚く、放獣の話は遅々として進みません。環境省も動いてくれず、誤捕獲から2カ月がたった8月20日、大阪府から協会へ「殺処分」の通告がありました。

 熊森協会は「放獣」から「飼育」へと舵を切ります。府が定めた期限まで5日…。

「豊能町にある複数のお寺に手紙を書いて、獣舎を建てる土地の提供をお願いしたところ、高代寺のご住職がすぐに連絡をくださったんです」(室谷さん)

 約1500万円の建設費はすべて寄付で賄われ、15年3月31日に獣舎が完成。大阪府の検査にも合格し、4月9日、とよくんはようやく狭い檻を出て獣舎へ移ることができました。誤捕獲から295日目のことでした。


「熊舎へ移った瞬間、とよは猛スピードで走り回りました。動画では広い場所へ移れて喜んでいるように見えるかもしれませんが、逃げ出したくて出口を探していたんです。本当は山へ帰らせてあげたかった。見ていた私たちはみんな泣きました。野生で大人になった熊を飼育するのは無理だ、檻に入れるのはかわいそうだと言う人もいますが、熊は賢い動物。とよは、お寺や当協会の関係者たちの愛情を受けて、少しずつ心を開いていきました。今では、私たちが行くとうれしそうに寄って来ます」(室谷さん)

 日々の餌やりや週に一度の獣舎清掃は熊森協会のスタッフとボランティアさんがやっています。冬ごもり明けの今の時期は、一日にフルーツ1.7キロ、熊フード300グラムを食べるそう。取材に訪れた日も、りんご、キウイ、いちご、干し柿、干し栗…など美味しそうに食べていました。とよくんのファンは全国にいて、果物やどんぐりなどがたくさん送られてくるそうです。中には高級フルーツも!高代寺は山の上にあるため、ハイキングを兼ねてとよくんに会いに来る家族連れもいます。

「センセーショナルな報道もあり、熊は凶暴だと誤解している人も多いですが、とよを見に来られた方はよく『こんなに穏やかなんですね』と言ってくださいます。熊は本来、争いを避ける動物。そうした本当の姿を、とよが教えてくれています。とよを飼育したことで、生態について学術的に新たに分かったこともいくつもあるんですよ」(室谷さん)

 2019年と2020年の2年間で1万2000頭を超える熊が全国で捕殺されたそうです。人間や農作物の被害は防がなくてはなりませんが、そもそも熊が人里に降りてくる原因を作ったのは、奥山を開発し、スギやヒノキなど実のならない針葉樹ばかりを植えて熊の餌場を破壊した人間たち。森の恵みを享受している以上、私たちは彼らとの共存を考えていかなければいけません。

(まいどなニュース特約・岡部 充代)