助数詞の『頭』は英語のheadの翻訳

SNS上で話題になった「『頭』『羽』など『動物の数え方は死んだ後に残る(食べ残す)部位で決まる」という投稿に対し、国語辞典編纂者で三省堂国語辞典・編集委員の飯間浩明さん(@IIMA_Hiroaki)はTwitterに、『それは単なる最近の俗説と見ておきます。牛や豚の頭肉は、今と同じく古代中国でも食べていたでしょう。ちなみに、日本で『頭』が一般化したのは明治時代、英語headの翻訳によってでした(昔もあることはあった)』と投稿しました。

さらに飯間さんは、「大森洋平さんの『考証要集』(文春文庫)によると、江戸後期の『北越雪譜』では、鮭を『頭』と数えた例もあるんですね。岩波文庫で見ると、たしかに〈手も濡{ぬら}さず二三頭{とう}のさけをうる事あり〉(p.134)とあります。もちろん鮭の頭も食べられます。これは日本での例ということになります」と続けました。

明快な論理に、「その俗説だと『匹』というのをどう説明したらいいのかと朝考えていました。それに蝶も『頭』と数えるというのもあるし」、「牛や豚で最後まで食べ残されるのは骨とか歯じゃないかなぁ?」というツイートもあり、反響を呼びました。

日頃何気なく使っている助数詞ですが、なぜそのように数えるようになったのか、さらに深く知りたくなり、飯間浩明さんに話を聞いてみました。

助数詞にはそれぞれ意味がある

ーー英語圏ではheadと数えるのはなぜでしょうか

「英語の『head』を『〜頭(とう)』の意味で使うのは、日本語の『頭数』と同じ発想でしょう。個体を数えるとき、頭部に注目するのは自然だと思います」

「古代中国語でも、『頭』を馬・牛・羊・ロバ・ラクダなどを数えるのに使っているので、どの言語も発想が似ていると言えます。ただ、中国語の『頭』は日本語ではさほど用いられず、馬を数えるのにも『匹』を用いていました。『頭』が一般化したのは、明治になってheadの訳語に使われてからです」

ーー鳥や魚、そして人はどう考えたらいいのでしょうか。

「鳥を『羽』というのは鳥類の特徴をそのまま言っているわけで、自然です。中国語では『羽』で鳥の意味を表す場合もあったようです。生きた魚は『匹』、料理の材料としての魚は『尾』です。この『尾』も目立つ特徴(他の動物のような脚がない)をそのまま言っているのでしょう」

ーー人は『名』とも『人』とも言いますが、その違いは?

「『人』『名』についてですが、『〜人』は人を数えるのに一般的に使うことばです。『〜名』は名前が特定できるなど、具体的な人について、やや改まって使うことばです」

「広場を行き交う何十人もの人』とは言っても『何十名もの人』とは言いません。『人』は不特定の対象を指すのにも使えます。一方、『名』を使う場面で典型的なのは、たとえば『会員数○名』『卒業生〜名』などです。名前が特定できるとか、人数が特定できるとか、要するに状況が具体的な場合に使います」

ーー豆腐は1丁とか助数詞は実に多彩ですが、なぜものによって違う数え方をするようになったのですか。

「『豆腐は1丁』『箸は1膳』のように物によって助数詞が違うのは、誤解を防ぐためです。同じ豆腐でも『一切れ』『1丁(元は2個分)』『1パック』などで話が変わってきます。『箸1本』と『箸1膳(=2本)』も別のものを指します。『論文1枚(論文の切れっ端)』と『論文1本(論文の完成品)』も違います。多彩な助数詞によって意味を区別しているのです」

フェイクを見破る方法

飯間浩明さんは、助数詞の話を聞いて、「へえ〜、意外だな」と思う人よりも「そう言われれば、当たり前だな」と思う人のほうが多いはずだと言います。実はここにフェイク情報と真実を見分ける秘訣が隠されています。

「事実というものは、多くの場合、分かってみれば当たり前なものです。そのため、往々にして、意外で面白いフェイクに負けてしまいます。意外な話に遭遇した場合、『ちょっと待て、それは常識的に考えてありうることだろうか、不自然なところはないだろうか』と考えるようにすると、判断の誤りはかなり防げます」

(まいどなニュース特約・渡辺 陽)