昨今、中国が台湾を取り囲むかのように軍事演習を実施し、それを常態化させようとしている。中国軍は8月10日、その演習を終了させたと発表したが、たとえ軍を台湾東部や南部の海域・空域から撤退させたとしても、それを習慣化させることは間違いないだろう。しかし、我々が懸念するべきは台湾周辺の安全保障だけに限らない。今後、台湾情勢を巡って米中、中台の緊張がいっそう激化すれば、その下にある南シナ海の海洋秩序も比例するように悪化するだろう。

2016年7月、オランダ・ハーグにある仲裁裁判所は、南シナ海の大半に主権が及ぶとする中国の主張を退ける判決を下した。しかし、中国は判決など効力を持たないとして現状変更の既成事実化を続け、領有権を争うフィリピンやベトナムとの緊張が悪化ししている。

今年3月下旬、南シナ海のフィリピンの排他的経済水域でフィリピンと台湾の大学が合同で海洋調査を行っていた最中、中国海警局の船が異常に接近し、数日間にわたって追尾された。昨年11月には、南沙諸島でフィリピン軍が常駐する岩礁に物資を運搬しているフィリピンの民間船が、中国海警局の公船によって航行を妨害され、放水を受ける事件があった。また、2019年6月には、フィリピン漁船が中国の漁船に衝突され沈没した。ベトナムとの間でも、2020年6月、ベトナムが領有権を主張する南シナ海・西沙諸島でベトナム漁船が中国船2隻に襲われ、魚や機材などを強奪される事件が発生した。2020年4月にも中国海警局の船がベトナム漁船を沈没させる事件があった。フィリピンやベトナムは事件があったごとに中国に対して抗議の声を上げているが、中国側はそれを完全に無視し、現状変更を続けている。

台湾有事となれば、南シナ海で活動する中国軍が台湾へ向かうだけでなく、中国と対立するベトナムやフィリピンと中国との間でも緊張がエスカレートする恐れがある。ベトナムやフィリピンも台湾有事では米国や台湾側に軸足を置く可能性が高い。そうなれば、これまで以上に上述のような事件が増え、南シナ海の平和が脅かされることになるだろう。

これは日本にとっても他人事ではない。台湾有事は日本有事になると多くの専門家がしているが、南シナ海の海洋秩序が壊れれば、それは日本経済にとっての有事となる。すなわち、ASEANや中東、アフリカや欧州から日本に向かう民間商船や石油タンカーなどはインド洋からマラッカ海峡、南シナ海を通過して日本に至る。仮に、台湾有事が勃発すれば、日本は米国や台湾の陣営に加わることから、中国との関係が悪化することは避けられない。そうなれば、中国が影響力を持つ南シナ海で海上封鎖や臨検、拿捕などを行う可能性があり、日本へ向かう船舶の安全な航行が脅かされることになる。

台湾有事において、我々は邦人避難や南西諸島の安全保障だけを考えればいいのではない。それによってもたらされる被害は多種多様であり、南シナ海やシーレーンへも影響が及ぶ。今の段階からさまざまなリスクを想定するべきだ。

◆治安太郎(ちあん・たろう) 国際情勢専門家。各国の政治や経済、社会事情に詳しい。各国の防衛、治安当局者と強いパイプを持ち、日々情報交換や情報共有を行い、対外発信として執筆活動を行う。