100歳を過ぎても現役の医師を続け、元気に活動できる高齢者の姿を体現してきた日野原重明・聖路加国際病院名誉院長が105歳で亡くなった。同病院に入ったのは、太平洋戦争が始まった1941年。戦中戦後の厳しい時代を若手医師として働いた経験から、一貫して平和の尊さや命の大切さを説いた。【下桐実雅子、永山悦子】

 戦後70年を迎えた2015年、日野原さんは将来を担う子どもたちに向けて、著書「戦争といのちと聖路加国際病院ものがたり」を出版した。自身の104歳の誕生日を前に車椅子に乗って記者会見し、「命と平和の尊さを次世代に語り継ぐことは大切な使命」と語っていた。

 著書では、東京大空襲で大やけどを負った人々を診療したものの物資不足で救うことができなかった経験などをつづり「君たちも、戦争をしない平和な世界の実現を一緒に考えてほしい」と訴えた。

 こうした経験を踏まえて決断したのが、95年の地下鉄サリン事件での迅速な負傷者受け入れ。外来の受け付けを止めて全職員が救急搬送される患者の手当てに当たり、軽症者には緊急事態に備えて酸素吸入ができるよう配管を整備していた廊下で処置をした。

 87年から全国の小中学校で「いのちの授業」も続けており、200校以上を訪れた。子どもたちに、「命は生きている時間そのもの。大人になったら、自分の時間を誰かのために使ってほしい」と語り掛けてきた。

 58歳の時には「よど号」ハイジャック事件(1970年)に巻き込まれて生き延びた。その経験から「命を人のために使おう」と考えるようになったという。

 何歳になっても常に新しいことに挑戦する大切さも説いた。自身も88歳で、童話「葉っぱのフレディ」のミュージカル用の脚本を書き、ニューヨーク公演も実現させた。「医師になっていなければ、音楽の道に進んだかも」というほどの音楽好きでもあった。広島で指揮者の小澤征爾さん(81)と平和コンサートも開いた。

 睡眠は1日4時間半ほど、食事は控えめという生活習慣を守り、講演や執筆、大学での講義、病院の回診も続けて生涯現役を貫いた。「医学部を作りたい。僕にはまだまだ夢がある」と語っていた。