足尾銅山鉱毒事件の被害者救済に半生をかけた田中正造(1841〜1913年)が亡くなった栃木県佐野市内の民家近くに、研究団体などが建立を進めてきた「終焉(しゅうえん)の地」の記念碑が完成した。

 建立者は、正造を学長と仰ぐ「田中正造大学」や研究団体「渡良瀬川研究会」など関係団体でつくる実行委員会(委員長・菅井益郎国学院大名誉教授)。1980年代に設置された案内板が老朽化したため、今年2月から募金運動を進めてきた。石碑は高さ2・2メートル、幅3メートルの御影(みかげ)石製。「田中正造翁終焉の地」と横書きで大書し、碑文の冒頭には正造の文明観を象徴する「真の文明は山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし」の言葉、さらに正造の功績や周辺が被害者救済運動の拠点だった歴史を刻んだ。

 佐野市船津川町の現地でこのほど行われた除幕式には、関係者約100人が出席。石碑の建立を踏まえ、正造の思想と行動を次代に継承していくことを改めて確認した。

 佐野市教委などによると、正造は1913年8月、旧谷中村支援のための活動中に病に倒れ、同年9月4日に亡くなった。市教委は正造没後100年の2013年9月、正造を最期まで看病した旧吾妻村(現佐野市)の支援者、庭田清四郎宅を「終焉の家」として市の史跡に指定。石碑は同家北側の県道佐野行田線沿いに設置された。【太田穣】