◇「非戦闘地域」 膨らむ疑念

 防衛省が16日に公開した陸上自衛隊イラク派遣時の日報は、宿営地への攻撃が相次ぐなど現地の治安情勢が悪化した2004年春〜05年初めの大半が欠けていた。理由は不明だが、派遣部隊の活動地域が本当に「非戦闘地域」だったかどうかを検証するには不十分な状態だ。一方、昨年3月に発見された陸自研究本部の日報には「戦闘」などの記載がないことも判明。なぜ、日報の存在が同本部で伏せられていたかという疑問も残ったままだ。

 陸自などで発見された日報は、派遣期間(04年1月〜06年9月)のうち435日分にとどまり、特に04年3月〜05年3月の約1年分は、ほぼ残っていなかった。一部の日報に掲載されていた統計によると、陸自の宿営地のあったサマワを含むイラク南東部では、04年春から米軍が治安の安定化作戦を始めた同年秋までは武装勢力による攻撃が頻発し、多いときは月約500件に達していたという。

 迫撃砲などによる陸自の宿営地周辺への攻撃についても、05年11月7日や同12月4日など一部しか見つかっていない。3夜連続で攻撃があった04年8月21〜24日や、宿営地内の荷物保管用コンテナをロケット弾が貫通した同年10月31日などの状況は日報で検証できないままだ。

 また、日報の記述が不十分な事例もある。05年12月4日にサマワ近郊のルメイサで陸自の車両がデモ隊に囲まれ、投石された際は、日報に「養護施設竣工(しゅんこう)式準備中に陸自車両が群衆と遭遇。車両に被害あり」と記載されただけ。デモ隊には銃を持つ者がおり、駆け付けたイラク人警護員が「発砲する」と警告してデモ隊を退散させたことが報道されたが、日報では「別途報告」とのみあり詳細を記したページはなかった。

 一方、陸自研究本部教訓課で昨年3月27日に見つかった日報は33日分。このうち26日分は宿営地の建設などが行われていた04年1〜2月の日報で、まだ宿営地への攻撃が始まる前だった。残り7日分の日報にも陸自部隊が攻撃に遭遇した場面などはなく、「戦闘」という文言も確認されなかった。陸自幹部も「なぜ、この時期の日報だけ保管していたのか」と首をひねる。

 研究本部は昨年3月10日、当時の稲田朋美防衛相の再探索指示を受けた防衛省からの照会に「日報は存在しない」と回答。日報発見後の同30日にもイラクの日報などの情報公開請求に関する問い合わせに「ない」と回答し、今年1月に陸上幕僚監部に報告するまで日報の存在を伏せていた。防衛省は大野敬太郎政務官を長とする調査チームで経緯を調べている。【前谷宏】

 ◇陸上自衛隊宿営地などへの主な攻撃状況

(★は日報が存在)

【2004年】

  4月 7日 宿営地近くに迫撃砲。初の攻撃

  8月21日 24日未明まで3夜連続で宿営地付近に着弾

 10月22日 宿営地内にロケット弾攻撃

 10月31日 宿営地内のコンテナをロケット弾が貫通

【05年】

  1月11日 宿営地内にロケット弾攻撃。信管付きは初

★ 6月23日 陸自の車列付近で爆弾が爆発し、車両が損傷

  7月 4日 宿営地に向けロケット弾5発、うち1発が宿営地内に着弾

★11月 7日 宿営地付近にロケット弾とみられる攻撃

★12月 4日 デモ隊と陸自車両が遭遇し、デモ隊が投石。車両が損傷

★12月12日 宿営地付近にロケット弾とみられる攻撃

【06年】

★ 3月29日 宿営地付近に曲射火器の攻撃

★ 5月31日 陸自と豪軍の車列付近で爆弾が爆発