南スーダン国連平和維持活動(PKO)派遣部隊の日報問題に関する10日の衆参閉会中審査では、焦点だった稲田朋美元防衛相が陸上自衛隊の日報保管の説明を受けていたかについて、真相は明らかにならなかった。政府側は特別防衛監察の結果が公表されていることから「監察の過程についての説明は差し控える」と繰り返し、監察を「隠れみの」に説明を回避。疑惑解明には程遠く、野党は出席しなかった稲田氏の国会招致を強く要求している。【仙石恭、木下訓明】

 ◇特別防衛監察の結果、あいまいな記述

 「陸自の日報の存在についての発言があったか、なかったかという点はそごがあった。あったという証言にも記憶があやふやなものがあり、特定できない状況だ」。小野寺五典防衛相は、陸自の日報データの存在に関する稲田氏への報告の有無について、最後まで判明しなかったことを強調した。

 稲田氏への報告を巡っては、今年2月13日と15日の2日間、陸自幹部らと稲田氏の間でどういうやり取りがあったかが、焦点だった。陸自側は稲田氏に報告したと主張するが、稲田氏は「報告を受けていない」と否定し続けてきた。

 特別防衛監察の結果では「日報データの存在について何らかの発言があった可能性は否定できない」とあいまいな記述に終わった。10日の審議でも、この2日間の真相に関して質問が集中した。

 監察を実施した防衛監察本部に陸自が提出した文書には「稲田氏への報告」が記載されていた。一部報道で、稲田氏が2月13日に陸自幹部から報告を受けた際の手書きメモの存在が浮かび上がった。この中で、稲田氏が「明日(定例記者会見で)なんて答えよう」と発言したとされる。

 このメモが存在するか追及された小野寺氏は「監察で入手した資料は、監察手法を類推され、対策を講じることを容易にする。監察対象が監察への協力をちゅうちょし、監察業務に支障を来す恐れがある」などの答弁でかわし続けた。

 2月13、15両日、稲田氏と幹部との会合に同席した前統合幕僚監部総括官の辰己昌良審議官も「私の証言は途中過程。過程の情報は不開示にあたる」と答弁し、説明を避けた。

 民進党の後藤祐一氏は「特別防衛監察をしてしまえば、答弁を差し控えることができるのか」と批判したが、政府側の答弁姿勢が変わることはなかった。

 稲田氏への報告の有無が不明であるにもかかわらず、小野寺氏は「稲田氏により公表の是非に関する方針決定や了承がなされたことはなかった」と繰り返し、稲田氏が隠蔽(いんぺい)を指示した形跡がないことを強調した。

 民進党は、特別防衛監察による真相解明は不可能だとして、第三者機関を利用した調査などを求めたが、小野寺氏は必要がないとして拒否した。同党の福山哲郎氏は「防衛監察の信頼性はない。政府が本当に疑惑を解明する気持ちがあるのか、はなはだ疑問で残念だ」と語った。

 ◇「戦闘」記述懸念し隠蔽?

 小野寺氏は10日の答弁で「昨年7月の情報開示請求があった文書に関して『不存在』としてしまったことが、この問題の発端だ」と述べた。日報の隠蔽(いんぺい)疑惑は、PKO派遣部隊の上部部隊にあたる陸自中央即応集団の堀切光彦副司令官(当時)が昨年7月の情報公開請求に対して、日報を開示文書から除外するよう指導したことから始まった。だが、堀切氏がなぜ日報を隠す判断に至ったかについては未解明な部分が多い。

 当時は派遣部隊に対して安全保障関連法に基づく「駆け付け警護」の新任務付与を検討していた時期だった。南スーダンの首都ジュバで武力衝突が発生し、日報の中には「戦闘」の記述があった。「不都合な事実を隠そうとしたのではないか」。共産党の井上哲士氏はこの点を追及した。

 これに対し、小波功統括監察官は「その時点で国会の議論を念頭に(不開示の)指導をしたものではないと確認している」と説明。不開示理由については、「部隊の保全、情報の流出防止、情報公開業務の多忙のためだった」と繰り返した。

 井上氏は「あれだけ国会で議論になったことが念頭になかったのは極めて不自然だ」と反論。稲田氏への日報報告の有無があいまいなのを引き合いに、「他のことはあいまいなのに、このことだけは明確に言うのはご都合主義だ」と切り捨てた。

 陸上幕僚監部の牛嶋築運用支援・情報部長(当時)が、「廃棄した」と公表した「実態」に合わせるために「適切な管理」を指導し、関係部署で日報が削除された。だが、この日の審議では、日報が一時、約4万人の自衛隊員が閲覧することが可能だったと説明された。事実上の「破棄命令」がいかに非現実的だったかは、この日の審議で明らかになった。

 防衛省は再発防止策として「情報公開査察官」を9日に新設。情報公開請求で文書不存在を理由に不開示を決定した場合、事後に文書の存在の有無について調査する。しかし、どこまで機能するかは不透明だ。