「今年も来ました。ずっと忘れません」「安らかに眠れ」−−。日航ジャンボ機墜落事故(1985年8月12日)の現場のふもと、上野村の神流川で11日夕、灯籠(とうろう)流しがあった。大粒の雨が降る中、遺族ら約100人が、亡き人への変わらぬ思いや空の安全への祈りを灯籠に込めた。

 「三十三回忌という区切りなので」。東京都杉並区の山本直幸さん(48)は、妻と高校1年、中学2年の息子たちと4人で、初めて灯籠流しに参加した。父親でミサワホーム専務だった幸男さん(当時48歳)が、出張に向かう道中で犠牲になった。

 直幸さんは事故当時、高校2年生。今、あの時の父親の年齢に並び、我が子が当時の自分の年齢に近づく。「志半ばで無念だったと思う。(自分は)1年でも長く生きていきたい」。灯籠には「無事に三十三回忌を迎えられました」と書き、「周りの人たちに支えられ、家族も健康に過ごしている」と感謝の気持ちを添えた。

 弟の健さん(当時9歳)を亡くした東京都大田区、美谷島真さん(45)は「32年が過ぎても悲しみが消えることはありえない。大事故は忘れたときにまた起きる。悲しみを乗り越えるのでなく大事にしなければならない」と話した。

 父の孝之さん(当時29歳)を亡くした小沢秀明さん(31)=兵庫県明石市=は、父親の年齢を超えて2年がたった。「事故当時、母のおなかの中にいた僕は成長していくだけだったが、遺族の多くは高齢になり、足や体を悪くして『行きたくても行けない』と言う。その方々の分まで登り続けたい。30年続いてきたのだから、これからも、今度は若い世代が引っ張っていきたい」

 今年も東日本大震災や御嶽山噴火、JR福知山線脱線事故など災害や事故の遺族らが、共に安全を祈って参加。会場には高崎アコーディオンサークルやアマービレオカリナ会による演奏が夜空に響いた。【鈴木敦子、杉直樹、神内亜実】

 ◇折り紙と盆花で遺族らを道案内、前橋の主婦ら手作り

 灯籠流しが営まれた神流川のほとりには、色とりどりの折り紙の花と手作りの盆花が並び咲き、遺族らの足元を明るく彩った。

 作ったのは前橋市大利根町の主婦、中村香代子さん(66)ら。寄付は2005年ごろに始めた。この日は犠牲者の数と同じ520本の折り紙のユリを並べて命日の「8・12」をかたどり、ハスを模した金色の盆花を河原に1本ずつ向かい合わせに立てて川面への「道」を作った=写真。

 盆花は例年、赤と金の2色だったが、仏教で「弔い上げ」とされる三十三回忌を迎えた今年は金色のみ。「初心に帰るとの意味も込めてシンプルにした」という。【杉直樹】

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 ◇私の使命「次世代に語り継ぐこと」 事故直後から遺族に付き添う 藤岡・坂上シゲヨさん(85)

 「空から見守っていてください」。11日夜に流した灯籠にこう書き込んだ。遺族らと灯籠流しを共催する市民グループ「ふじおか・おすたか・ふれあいの会」の会長を務めて今年で10年になる。

 事故当時、遺体安置所が置かれた藤岡市で地区婦人会の会長だったことから、市から依頼されて遺族の世話役を務めた。

 あの時の遺族の表情は「今も絶対忘れられない」。大阪や東京から夜行バスで駆けつけた遺族の顔には、寝不足と焦燥感で疲労の色がにじみ出ていた。かける言葉は見つからなかった。冷えた麦茶やおしぼりをそっと手渡し、ひつぎの花を取りかえた。おかゆを作り、「あの日から初めて食べられた」と喜ばれたこともあった。約2カ月間通い詰めた。「困ってる人を何とかしてやらないと。他を考える余裕なんてなかった」

 遺族に付き添った主婦らは1989年に「ふれあいの会」を作り、墜落事故に関する講演会などに参加。風化を防ごうと、事故から10年たった95年から灯籠流しを毎年開いてきた。

 事故から32年。会員数は結成当初の約80人から半分に満たない。会員の多くは70〜80代。既に亡くなった人もいる。「解散」の意見も聞こえてくる。それでも「遺族との交流は私の生活の半分。来てくれるのに何もしてやらないわけにはいかない」。最近、地元の青年会議所のメンバーとの交流も進めている。「次世代に語り継がないと。動けるうちは一生懸命やる」【杉直樹】