軍隊手帳や鉄かぶとなど、亡父が中国に出征していた時の遺品を、平和活動に生かしている男性がいる。朝日町山崎の元教員、勝田栄造さん(72)。「だれも死にたくない。一度失敗したことを繰り返してはならない」と反戦を呼びかけている。【青山郁子】

 勝田さんの父義雄さんは、海軍に所属していた弟が1941年の真珠湾攻撃で戦死。自らも召集され、中国大陸に出兵した。44年に一時帰還し結婚。栄造さんが生まれた。終戦後、生還し、役場に勤務した。生前、戦死した弟が「どこかで生きているのでは」と、愛用の布団をずっと大切に残していたほど優しい性格だったが、家族に自らの戦争体験を語ることは一切ないまま、2000年に81歳で亡くなった。

 遺品を見つけたのは11年春。十三回忌を控え、仏壇を掃除していたところ、引き出しの奥に一つの鍵を見つけた。開かないままだった古いタンスの鍵だと分かり、開いてみると、血がついたままの脚絆(きゃはん)やズボンなどの軍服、戦闘帽、千人針、中国大陸の地図などの戦争遺品約50点がきちんと整理され、保管されていた。

 中には、戦死した時に遺族に送るため、突撃前に髪や爪を入れておくための小袋、認識票など死の覚悟を思わせる品もあった。軍隊手帳にはいつ、どこにいたかなどが詳細に記録されていたほか、「千人針のおかげで心臓から弾がそれ、ありがたく思いました」など古里に残した家族に書いた軍事郵便もあった。

 勝田さんは、父がこれらを残していたことに驚き、現在は、依頼されれば遺品を持参して戦争の悲惨さを訴える。7月に入善町で開かれた日中戦争に関するセミナーでは、真面目な公務員としての義雄さんを知る参加者が、万感の思いを込めて手に取っていた。

 勝田さんは「どんな思いで保管していたのか、そして、なぜ一言も戦争のことを語らなかったのか。今となっては知る由もないが、これからも父の遺品を大切に保管し、憲法9条を守り、『二度と戦争はしてはならない』と訴えていきたい」と話している。